今日の楽しみは 


肩をつつかれ、瞼を持ち上げた。窓からは光が射し込んでいる。


もう朝らしい。プレトの顔を覗き込んだルリスが、困ったような顔をしながら口を開いた。


「クライノートでバズった投稿、規約違反扱いされて、消されたみたい……」


……聞かなかったことにしよう。そう思って再び目を閉じると、今度は額をつつかれた。


「プレトもクライノート、確認してみてよ」


ルリスにそう言われ、携帯電話を取り出し、アプリをチェックしてみた。なるほど。投稿のいくつかが規約に違反していると、運営からメッセージが届いていた。すでに対応が取られていて、いくつかの文章や写真が閲覧不可になっている。投稿そのものが削除されているものもあった。


「規約違反になるような投稿なんてしたっけ?」


プレトは目をしょぼしょぼさせながら言った。

朝日が眩しい。


「さあ……なんか、暴力表現と個人情報保護に引っかかったとか書いてあるけど……」


プレトはベッドに身体を横たえながら、もう一度携帯電話に視線を向けた。身体の表面は火照っているが、芯が冷えるような、変な感じがする。一晩で熱は下がらなかったようだ。


「んー……パンデアの社員証と、フーイの暴露動画は、投稿ごと消されたみたいだね。コメントいっぱい来てたのにな……」


「プレトの患部の写真とか、昨日見つけた大量のパラライトアルミニウムは、写真だけ非表示になってるね」


「私の廃車になったレグルスは、暴力表現扱いになっている……どういうことなの……」


「意味わかんない……悔しいよー! もう一回、同じの投稿してみるね」


クライノートには、事故や手術の映像もごく普通に投稿されている。プレトたちの投稿が、そこまで過激だとは思えなかった。ルリスは、投稿を終えるとベッドに倒れ込み、呪文のようにブツブツとつぶやきはじめた。


「ポルノ系の投稿ばっかりしているアカウントとか、暴言ばかり吐いているアカウントは野放しになっているのにさー、どうしてできたてほやほやの弱小アカウントが、たった一日で投稿を消されなくちゃならないのかな……誰かに目をつけられてるわけー?」


「うーん……バズりすぎて、マークされたかな……嫉妬で運営に通報したユーザーもいるかもしれないね」


プレトはそう言いながら、枕に顔をうずめた。

滑り出しが好調だったため、自分でも気が付かないうちに浮かれていたようだ。心地よく空を飛んでいたところを、パチンコで撃ち落とされた気分だ。むしゃくしゃする。頭を掻きむしりたいほどだ。隣のベッドを見ると、実際にルリスが頭を掻きむしっていた。金色の髪を乱しながら言った。


「いま投稿した内容、速攻で非表示にされたんだけど!」


プレトの口から大きなため息が出てきた。ひどい話だ。なんとか元気を出してほしくて、友人に声をかけた。


「もう一回大浴場行ってさ……ひとっ風呂浴びてから、出発しちゃおうか……」自分でも驚くほどに気の抜けた声だった。 

 

二人の乗ったレグルスは、工業地帯の街を抜け出していった。


チェックアウトまでの間に判明したのだが、クライノートのスポンサーの中に、ラピス溶液を作っている製薬会社があった。詳しく調べたわけではないが、他にもパラライトアルミニウム関係の企業が関わっているのかもしれない。

 

投稿に対して、規約違反だといちゃもんをつけられたのは、それが最大の原因だろう。事実をありのまま、ほぼリアルタイムで発信した2人のアカウント〈プレパラート〉は、奴らにとっては目障りでしかないのだ。


プレトは窓の外に目を向けた。昨日から続く強風で、大きな雲が次々と吹き飛ばされていく。

 

その隙間から見える青い空は烈々としていた。生きる気力を空に吸いつくされてしまいそうで、プレトは思わず目を瞑った。


……目を瞑った理由は、他にもう一つあった。
削除されずに残った投稿に、いくつもの誹謗中傷のコメントが届きはじめたのだ。的はずれな悪口ばかりだったが、目にすると気が削がれた。ストレスで熱が上がってくる。昨晩はあんなにきれいな夜景を堪能できたのに、そのときの感動がすっかり奪い取られてしまった。


「SNSはクライノート以外にもあるから……他でも試してみようか?」ルリスがぽそりと言った。


「……そうだね」と答えたものの、同じ轍を踏むことになりそうで、正直、気は乗らなかった。きっとルリスも同じ気持ちに違いない。プレトは言葉を続けた。


「次の街までだいぶ距離があるから、今日は進めるところまで進んで、野営できるところに行こうか」


「はーい」


と、ルリスが答え、口をへの字に曲げた。親に約束を破られた子どものような横顔だった。


レグルスを数時間走らせたのち、湖のほとりに停めた。プレトもルリスも、就寝用のテントを張ったところで気力を使い果たしてしまった。

 

パック詰めされた常温の白米に、常温のレトルトカレーをかけて食べた。無言で咀嚼しているうちに太陽が消え、月の光が辺りを薄っぺらく照らしはじめた。プレトが解熱剤を飲んでいると、ルリスが駆け寄ってきて言った。


「なんか! バズってる!」


「ん?」


ルリスがこちらに携帯電話の画面を向けた。そこにはある投稿が表示されていて、拡散を呼びかける文章と、見れなくなったはずのプレトたちの投稿が写真として添えられていた。どうやらこのユーザーは、その投稿のスクリーンショットを撮っていたらしい。〈アネモネ〉というアカウントだった。


「この人、一番最初にフォローしてくれた人だ」プレトは呟いた。


「他の人たちも、ほら!」


消されたはずの動画や写真を、大勢のユーザーが投稿している。みんな、いつの間に保存していたのだろう。

 

クライノートには、真実の情報を求める声や、パラライトアルミニウムの値上げの中止を求める声、虹の採取に向かう2人への妨害をやめるようにとの声が溢れかえっていた。

 

しかし、それらの投稿には必ず誹謗中傷のコメントが幾つもついていた。


「SNSって、こんなにカオスだったんだ……」


様々な方向から飛んできた言葉たちが、容赦なくぶつかり合っている様子に圧倒された。しかし、多くの人が味方になってくれている気がして、なんだか嬉しかった。


「わたしたち、2人ぼっちじゃなかったんだね」


ルリスが笑みを浮かべて言った。プレトも気力が戻ってきた。友人の笑顔と解熱剤が効いたようだ。


「どのくらい拡散されるのか、明日まで様子を見てみようか」


そう言ったとたん、プレトの頬にムイムイが強く当たった。


「痛て!」


「大丈夫? なんか、やけに風が強いよね」


目の前にある湖面が、風に揺られてうねっている。空を見ると、厚い雲が増えてきていた。プレトは頬をさすりながら言った。


「ムイムイがぶつかってくるから、テントに入ろうか」


トンネル型のテントに入ると、パチパチと音がした。ムイムイがテントに勢いよく当たっているのだ。


「今日はクライノートに振り回されて疲れたね、もう寝ちゃおうかな」


ルリスがあくびをしながら言う。レグルスを操縦しつづけたせいで、疲労も溜まっているのだろう。


「私も寝るよ、おやすみ」


プレトはランタンの明かりをゆっくりと絞って消した。

 

肩を叩かれて、目を開けた。テントが光を透かしている。そして、やたらと揺れている。ルリスが驚いたような顔をして、プレトの顔を覗き込んでいる。


「……」なぜか無言だ。


「おはよう。どうしたの?」


「……クライノートのアカウントが消えた」


プレトは目を見開いた。「運営に消されたの?!」


「えっと……分かんない。なんか変なの」


プレトは急いでうつ伏せになり、自分の携帯電話を確認した。確かに様子がおかしかった。なぜだか画質が粗くなっている。アプリアイコンのいくつかが、ちぎれたように表示されていたり、欠けたりしていた。クライノートどころか、携帯電話の機能自体、使えないものがあった。こんなことは初めてだ。プレトが困惑していると、ルリスが言った。


「わたしもついさっき起きて、クライノートをチェックしたんだけど、急にアカウントが消えちゃったり、携帯自体がうまく動かなくなったりして……だからプレトを起こしたの。プレトの携帯も同じような感じなんだね……」


「2台同時に故障することなんてある? 一体なにが起こって……」


その時、プレトとルリスの携帯電話が同時に鳴った。


「なんか、注意報がきた……」と、ルリス。


画面に表示されたのは、ムイムイハリケーンの注意報だった。


「携帯がおかしくなったの、ムイムイハリケーンのせいだ! 早くテントを仕舞わないと飛ばされる!」


プレトがそう言うなり、テントが強風で煽られ、大きくたわんだ。ランタンが倒れ、プレトの頭にぶつかる。


「痛て!」

(第38話につづく)

 

 

 

 

作者は 

こんなひと