今日の楽しみは 



プレトとルリスは、狭い膜の中で装備を確認した。そして、確認したことをすぐに後悔した。

 

ろくな物が入っていなかったのだ。わずかな水と携帯食料。そして、懐中電灯とアーミーナイフ、通信できない通信機と携帯電話。その他もろもろ。


一番期待できそうなアーミーナイフを、膜に向かって投げつけてみたが、小石と同じく、あっさりと弾かれてしまった。膜には傷一つついていない。ぶつかる前に、電気が防いだのだろう。


「酸素ってどうなってるのかな……」


ルリスが座ったまま、顔を上に向けて言った。膜の頂点となっている、円錐の機械を見ているのだろう。


「酸素……」


プレトは呟いた。周りの葉が風に揺れているのは、膜越しでも分かった。しかし、肌に風は感じられない。この膜は、空気を通していない可能性がある……最悪だ。窒息の可能性まで出てきた。


毒がまわって、一人で死んだほうが遥かによかった。このままでは、ルリスまで巻き添えじゃないか。プレトは、胃に異物を詰められたような気分になった。少女が言っていた泉の源に行きたかったのに、進む方向を間違えたのか? 家に帰るべきだったのか?


「あの円錐、レグルスのボディに材質が似てるような気がするよ……ということは、パラライトアルミニウムで動いてるのかな?」と、ルリスは言った。


なるほど、そうかもしれない。でも、もしもそうならば……


「パラライトアルミニウムで動いているなら、燃費がいいから……燃料切れは期待できないね。私たちの命が尽きる方が早いよ」


プレトの言葉に、ルリスはがっくりとうなだれた。狭い電気テントの中、2人で膝を抱えて座っている状況は、プレト自身にも滑稽に思えた。


するとそのとき、足音が聞こえた。音の方向を向くと、誰かがこちらに向かって来ているようだった。膜のせいではっきりとは見えないが、すぐに分かった。フーイだ。


彼はプレトたちを見付けるやいなや、手を叩いて笑いはじめた。腹まで抱えている。笑いすぎて、メガネが鼻にずり落ちていた。首を絞められた猿のような笑い声だ。その耳障りな声の中、携帯電話を握りしめたルリスの手が、プレトの視界の端で震えていた。おそらく、怒りのせいだろう。


男はひとしきり笑うと、さらにこちらに近づき、目元を拭いながら話しかけてきた。


「まんまと罠にかかってくれてありがとう。こんなにうまくいくなんて……冥土の土産にいいこと教えてあげる。おれもパンデアちゃんも、プレトちゃんの職場の所長から依頼されて来たんだよー。殺してもいいって言われてるんだー」


プレトは奥歯を噛みしめた。石を投げつけてやりたかったが、ここで投げても膜で跳ね返り、自分に当たるだけだ。両手を握りしめて堪えた。目線だけ横に動かすと、ルリスは抱えた膝に顔をうずめている。


「事故でもリバースパンダでも、毒でも死ななかったときはびっくりしたけどさ、この予備の計画がうまくいってよかったー! きみが死に損なってくれたおかげで、パンデアちゃんに嫌がらせできたし、おれの手柄にもできてラッキーだよ」


楽しそうに話している。プレトは思わず二の腕をさすった。気温は高いのに、鳥肌が立ったのだ。ドクププに刺された患部が疼く。


「そんな死に損ないも、やっと死ねるんだね。ソバカスちゃんも一緒だから、地獄でも寂しくないよねー」


「不愉快だからいなくなって」


プレトは言い放った。男は相変わらず、満面の笑みを浮かべている。


「胸糞悪いから消えろって言ってるの!」


プレトの叫びに対し、フーイは片手をヒラヒラと振りながら、木の向こうに消えていった。最後の最後、携帯電話を操作しているところが見えた。プレトたちが罠にかかったことを、報告するつもりなのだろう。


プレトは、地面に視線を向け、下唇を噛んだ。確認ついでに笑いに来るなんて……いや、笑うために確認しに来たのか。あれは、関わってはいけない種類の人間だったのか。


それに、やはり所長がらみだったんだ……ということは、これもある意味マッチポンプか? この男は、パンデアを貶めるついでに味方を装い、この罠に嵌めたのだ。だけど、この状況でそれを知って、一体どうしろと? 悔しくてやりきれないが、奴の言う通り、冥土の土産になってしまいそうだ……


「撮った!」ルリスが突然喋った。


「ひぇ?」驚きで、プレトの声が裏返った。


「あのクソ野郎が喋ってる一部始終を、動画で撮ったよ! 足の間から、なんとかカメラを向けたの」


ルリスが携帯電話をプレトに見せながら、再生ボタンを押した。動画は膜のせいで鮮明ではないが、大体の人物像は判別できた。会話も聞き取れる。


「……携帯電話、使えないんじゃなかったの?」プレトの声が震えた。


「カメラ機能と通信状況は、関係ないからね」


プレトは、なんと言えばいいのか分からなかった。なにか貴重なものをたぐり寄せられるような、そんな予感がした。


「ねえ、これ、SNSとかに出したらヤバいんじゃない?」


ルリスが神妙な面持ちで言った。


「SNS……」


「ねえ、ここから出られたら、SNSが使えるようになるよ。今までのこと、なんとかして公にしようよ!」


「おおやけ……みんなに知ってもらうってこと?」


「そう、あいつらの悪事をね! やられっぱなしなんて、絶対にイヤだよ! やり返そうよ!」


やり返せるなんて、思ってもいなかった。そうか、そういう方法もあるのか。


「……やろう。全部バラしてやろう」プレトが呟いた。


頭上から、パタパタパタと音が聞こえてきた。ルリスと同時に上を向くと、雨が降ってきたことが分かった。膜は雨を通していない。


これは、吉兆か、凶兆か。なんとかして、ここから出なければ。


雨とともに、葉が落ちてきた。膜の外側にペタリと張りつく。


「……葉っぱ、弾かれないんだ。焼けたりもしないし」


「ほんとだね。外側には電気が通っていないのかな」


プレトは何かを思いつきそうだった。ルリスをここから出したい。所長たちにやり返したい。痛む頭を必死に働かせていると、散乱した装備品の中、あるものに視線がとまった。


「この膜、もしかしたら、これでできているのかも」持ち上げながら言った。


「それはなに?」


「私物のゼリーベンゼンだよ」


ゼリーベンゼンは無色の半透明で、くず餅のような見た目と質感だ。大抵は豆腐より薄いサイズで流通している。同じ大きさのくず餅より軽いだろう。熱したり冷やしたりすると加工ができるうえに、丈夫なのだ。


「これが? 錠剤の加工に使うとか言ってたやつ?」


「そうだよ。加工できて、無害で、鉱山で沢山採れるんだ。使おうと思ってバックパックに入れたままにしてた。このゼリーベンゼンは二層になっていて、片方が電気を通して、もう片方は電気を通さない材質なんだ」


「へえ……これを、どうするの?」


ルリスがゼリーベンゼンを凝視しながら言った。


「膜を破るのは無理そうだから、逆に、電気の増幅装置を作って、円錐をショートさせて壊せないかな。円錐が壊れれば外に出られるでしょ」


「それができたらすごいよ! 今あるもので作れるの?」


「自信はないけど、電池とゼリーベンゼンとポケットムイムイを使えばなんとか……」


プレトは懐中電灯を分解して、中から電池を2本取り出した。ゼリーベンゼンをライターで炙り、アーミーナイフで穴を空けた。そこに電池を2本とも挿しこみ、ちぎったポケットムイムイで栓をした。


「チユリさんが持たせてくれたポケットムイムイを、まさかここで使うことになるとは……」


「プレト、なんでこんなことができるの?」


「学校で似たような実験、やらなかったっけ? 電気を増やしてみよう! とかなんとか……あんまり覚えていないけど」


「わたしは全く覚えていない」


「何年も前だからね。さっそくこいつを試してみるよ」


雨足が強くなり、雷の音も聞こえてきた。辺りは薄暗く、膜が雨粒にバタバタと叩かれている。


立ち上がり、背伸びをして、できるだけ円錐に近い部分の膜に、作ったものを押しつけた。ペタリという感触を指先に感じた直後、ビビビビビ! と、非常に大きな音を出しながら、膜全体が激しく震え始めた。プレトは驚いて尻もちをついた。


「これ、うまくいきそう!」ルリスが嬉しそうに叫んだ。


尻もちをついた衝撃で、頭痛が強くなった。頭皮を揉みながら叫んだ。


「このまま待ってたら壊れるかも!」


叫ばないと会話ができないくらいの騒音だ。鼓膜を強力に揺さぶられ、吐き気がこみ上げてきたが、両耳を塞いでなんとか耐える。目を強く瞑った。


しばらく座って身を寄せ合っていると、騒音がピタリと止んだ。期待して瞼を持ち上げると、膜に囲まれたままだった。ゼリーベンゼンで作ったものが、膜に貼り付いたまま黒くなっている。それは、敗北を意味していた。


「ウソでしょ、うまくいきそうだったのに……」


ルリスが拳で地面を叩いた。辺りはすっかり暗くなっていた。電池を使ってしまったため、懐中電灯は使えない。雨雲は自分の中で雷を転がしながら、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしている。プレトの耳には、その音と雨音と、ルリスのすすり泣く声しか聞こえなかった。身体が火照っている。熱が上がってきたようだ。


もう、できることはない……仕返ししたかったのに……

 

(第34話につづく)

 

 

 

作者は 

こんなひと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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