今日の楽しみは



駐車場に着くと、キリンパンが自分のレグルスに乗って、誰かと電話している最中だった。

 

プレトたちが近付くと、話が終わったのか、すぐに携帯電話から耳を離した。ブラウンのレグルスの窓が開き、話しかけられる。


「余命、何時間だって?」


「600000時間くらいかな」


自分の残りの寿命は分からないが、今からこのくらい生きられたら充分だ。


プレトとルリスは、ピンクのレグルスに乗った。レグルス同士を並べて停めていたので、乗車したまま会話を進める。


「あの毛虫はドクププっていうんだってさ」


「へえ、あれ、ドクププっていうのか……酔った勢いでつけたような名前だな。それで、なんて言われたんだ?」


「薬塗っとけってさ。熱もあるから安静にって言われた」


「そうか、じゃあ、治るまでここに滞在するか」


突拍子もないことを言われて驚いた。


「え? 次の街、近いよね。そこまで行こうよ。まだ陽も高いし」


「でも、体調悪いんだろ? ソバカスだって心配だよな?」


「ソバカスは心配してくれてるけど、君が私を心配するわけないじゃん」


プレトには、男から心配されていないという確信があった。


「ソバカスはどう思う?」
プレトは質問してみた。


「プレトがいいなら、次の街に向かおうよ。薬はもらったし、これ以上できることもないし、レグルスの操縦は私がするから大丈夫だよ」


「そうは言ってもよ……」


「サクサク進もう!」


ルリスの威勢がいい。ストーカーに追われていることは別として、田舎道のドライブが気に入ったのかもしれない。


「でもよ……」


「宿で寝てるのも、助手席に座ってるのも変わらないから、進もうよ」プレトも意見を伝えた。


「だけど……」


「さっきからなんなの、しつこいな」


なぜこんなに食い下がるのだろう。プレトが苛立っていると、ルリスがペットボトルの水と、処方された飲み薬を渡してくれた。ありがたくそれらを受け取り、錠剤を手のひらに出す。すると、キリンパンが言った。


「おまえらさ、引き返せば?」


「……」


プレトは思わず手の動きを止めた。一体、何を言い出すのだろうか。


「え、どこに? 前の街に?」ルリスも戸惑うような声を出した。


「家に」


「え?」


ルリスの表情がこわばっている。プレトは一度、深く深呼吸をした。キリンパンが話を続ける。


「聞いてんのか? 家に帰ったらどうだ?」


「さっきからなんなの? 滞在しろとか、帰れとか」


「心配してやってんだよ」


「絶対に絶対に絶対にウソだ!」プレトは鼻の頭にシワを寄せて言った。


「ウソじゃねえよ。そもそも、なんでレインキャニオンに行くんだよ」


虹の採取だと言いそうになったのをこらえた。

こちらの事情を丁寧に教える気にはなれなかった。目の前の男が、何の情報もくれないからだ。


「昨日も言ったけどさ、そっちのことを教えてくれるなら、こっちのことも教えるよ」


「努力する」男からは昨日と同じ答えが返ってきた。


「むー」ルリスが口を尖らせる。


「帰って隠居生活でもすればいいじゃねえか」


「は? なんで? この歳で隠居?」


そう言って、何粒かの錠剤を口の中に放り込んだ。あのおんボロな家で隠居生活をしたら、本当に世捨て人のようになってしまう。水も口に含み、まとめて飲み下した。


「人生いろいろだろ」


キリンパンが呟くように言う。操縦席をちらりと見ると、ルリスが唇をきつく結んでいた。職業差別を経験しているので、今の言葉に思うところがあったのだろう。だが明るい茶色の瞳は、夏の陽射しをしっかりと反射している。その光は、プレトの心に希望の種を撒くようだった。


『帰らない』


プレトは心の中で断言した。必死で追ってきてくれたルリスと共に、ここまで来たのだ。トラブルの連続だが、両親が人質に取られている疑いもある。帰るわけにはいかない。


「人生いろいろなら、レインキャニオンに行ってもいいでしょ」プレトは男の目を見てはっきりと言った。


「でもよ……」


あきらめの悪いキリンパンに、しびれを切らした。頭から首にかけて痛むのに、これ以上の問答をするのが煩わしかった。試しに話題を変えてみた。


「さっきのビン、見せてよ。アルミの蓋がついてるやつ」


「捨てた」


「はぁ?」プレトは強く瞼を閉じた。あの怪しいビンについて調べたかったのに……


「ビンって?」ルリスが質問してくる。


「こいつ、怪しいビンを持ってたんだよ。アルミの蓋に、小さい穴がいくつか空いてるの。まさか、あれにドクププを入れてたんじゃ……」


「言いがかりはよせよ!」


キリンパンは、プレトの言葉を遮るように言った。


「普段、薬を飲まない奴は知らないかもしれねえけど、ゼリーベンゼンで加工した錠剤は、保管のときにも密封しない。通気性を優先して、ああいうふうに蓋に穴を空けてるビンもあるんだよ」


「そうなの? でもあの穴、後から空けたように見えたけど……」


「見間違いだろ、しつこいぞ! 疑う前に検索してみろよ。なんのための携帯電話なんだ。ちゃんと『ゼリーベンゼン 錠剤』って打ち込めよ、分かるか?」


確かに、プレトは普段は薬を飲まない。だから、薬のビンの種類など何も知らない。だが、ここまで言われる必要があるのだろうか。


「なんなの、急にまくしたててさ! 疚しいことでもあるの?」


「ねえから説明してやってんだろ!」


「ちょっと! 声のボリューム下げて」


ルリスに会話を遮られ、ハッとした。歩道に目を向けると、通行人が訝しげにこちらを見ていることに気がついた。駐車場で言い争いをしているのだから当然だ。プレトは声量を抑え、キリンパンに言った。


「とにかく、私とソバカスは次の街に行くよ。キリンパンは好きにしたら? 君がどういう風に案内の仕事を受けたのか知らないけど、1日分は報酬もらえるんじゃない?」


「いや、オレも行くけどよ、治るまでここに滞在しろよ」


「その話はもういいや。ソバカス、行こうか」


「はーい!」


ルリスがレグルスのエンジンボタンを押したとたん、キリンパンの大きなため息が聞こえた。

彼が窓を閉める直前、プレトは声をかけた。


「ちゃんとムイムイ接着しておいてよ!」

 

キリンパンのレグルスが先頭となって、2台のレグルスがともに移動していく。プレトは顔をしかめながら、両手で頭皮をマッサージしてみた。薬の効きが悪いのだろうか、痛みがあまり和らいでいない。気分転換をしたくて、ルリスに歌のリクエストをした。


「ソバカス……何か歌ってくれる?」


「眠くならねえのを頼むわ」


通信機からもリクエストが聞こえた。


「了解! それじゃあ……」


ルリスの選曲は、ダークな歌詞の激しいメタルだった。こんな曲をルリスが知っているなんて意外だったが、ビロードのような声とのギャップが大きすぎた。プレトは思わず呻くように呟いた。


「脳が……破裂しそう……」


「そんなに痛いんだね、別の曲にするよ」


ルリスが曲を変えてくれた。テンポはよかったが、サビのリズムにどこか切なさがあった。夢から現実に引き戻されたときのような……

映画が終わってシアターの照明が明るくなったときのような……

遊園地が閉まる直前に最後のアトラクションに乗っているときのような……

プレトは、一昨日の廃遊園地を思い出した。


ツタが絡みついた入園ゲート。
壊れたフェンス。
色褪せたメリーゴーランド。
朽ちかけたイベントホール。
あれらのものは、これからどうなるのだろう。あの遊園地で遊んだ思い出を持つ人たちは今、どこで何をしているのだろう。遊園地の現状を見たら、どう思うのだろう。


「……プレト、調子はどう?」


ルリスに声をかけられ、メランコリックの渦から抜け出した。いつの間にか歌い終えていたようだ。


「まだ痛いけど、気が紛れて助かったよ」


「静かだからレインキャニオンに着く前に、デッドラインを超えちまったのかと思ったぞ」と、キリンパンが口を挟んでくる。


「一言多いな……ちょっとソバカスと話したいから、通信切るね」


返事を聞く前に、プレトは通信機の電源を切った。


「あいつ、変だよね。案内の仕事中に突然、帰れとか言うかな?」


「普通は言わないと思う。キリンパン自身が帰りたいなら分かるけどね」ルリスが答えた。


「だよね。今からでも案内を断ったほうがいいかな?」


「うーん……変だなって思う部分はあるし、信用はしてないけど、ストーカーを追い払ってくれるのは助かるかな」


プレトは頷いた。一緒にいるメリットも確かにある。ゼリーベンゼンで加工された錠剤の件も、検索したら確かに出てきた。ビンの蓋に小さな穴が空いているものがあるらしい。キリンパンが持っていたアルミの蓋の穴は、後から空けたもののように見えたが……見間違いだった可能性もなくはない。


「そうだね、あいつのこと、何も知らないのに、疑っていてもきりがないか。疑わしきは罰せず、というのが刑事裁判の大原則だし」


「あ、そんな大原則があるんだ……まあ、疑われるのはイヤだよね。わたしたちも数日前、冤罪で罰金とられたし……」


「そういえばそうだ……クリームは元気かな……」


「きっと、ガーデンイール牧場で元気に遊んでるよ」


記憶の中のクリームは可愛いが、警官たちとの最悪なやり取りを思い出し、心なしか、頭痛が激しくなった。友人の考えを聞きたくて質問した。


「ルリスから見て、キリンパンのどんなところが変だと思う?」


「変というか……あいつはプレトのこと、名前以外にもいろいろ知ってるのかもしれないなーって」


「え?」


全く予想していなかった返事が返ってきたので、思わず面食らってしまった。隣を見ると、ルリスの横顔は真剣そのものだった。一体、あの男のどこを見てそう思ったのだろう。なんだか気味が悪い。


レグルスの中の冷房が、いやに冷たく感じられた。

 

(第26話につづく)

 

 

作者は 

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