今日の楽しみは
 
 

 

「聞こえてる?」


ルリスが通信機に向かって話しかけた。自分の操縦するレグルスを、キリンパンのレグルスの前に移動させている。


「おう」


「後ろから黒いレグルスが来てるよ。ストーカーかもしれないから、対応お願いね」


「よろしく」プレトも短く声をかけた。


「……オレにできると思うのか?」


「え?」


予想外の返事に、プレトは一瞬、戸惑ってしまった。


「もちろんできるし、やったこともある」


と、キリンパンが言った。プレトは拍子抜けして、思わず座席に沈みこんだ。ストーカーに対応してもらえないのなら、一緒にいる意味がない。


「こんな状況で、よくそんな軽口たたけるね……」


ルリスの声に力がこもっていない。きっと、プレトと同様に呆れているのだろう。


プレトが後方を見ると、キリンパンの乗ったレグルスの後ろに、黒いレグルスがぴったりとくっついているのが分かった。センサーが反応しないギリギリの距離だ。


黒いレグルスは、蛇行するように走行している。もしかすると、キリンパンを追い越し、プレトたちと並走して何らかの嫌がらせをしようと企んでいるのかもしれない。


キリンパンも蛇行を始めた。ストーカーを防ぐように動いているように見える。悪人の動きを妨害してくれているのだろうか。


「ちょっと距離をとろうかな」


ルリスはさらにスピードを上げた。キリンパンと距離が開く。プレトが再び後ろを見ると、キリンパンのレグルスと黒いレグルスが並走していた。


「おい! 止まれ!」通信機から、キリンパンの声が聞こえた。


ルリスは構わず走行を続ける。ストーカーに対して発した言葉だと判断したようだ。


後ろのレグルスたちは、並走したまま道から逸れて、整備されていない場所に停車する。ルリスはそれを確認すると、徐々にスピードを落としていき、やがて路肩に停車させた。


距離が離れているため、彼らが何をしているのかは分からない。レグルスから降りた様子はないので、乗車したままやり取りをしているのだろう。しかし、通信機はなぜかだんまりを決め込んでいる。


プレトとルリスは何も話さず、ただ後方のレグルスをじっと見ていたが、いつまで経っても通信機からは何も聞こえてこない。さすがに心配になってきた。


「キリンパン?」プレトは通信機に向かって話しかけた。


しかし、応答はない。ルリスがいぶかしげな表情を浮かべる。ここは静かな場所で、他にレグルスの通りもない。明るい時間帯だが、不気味なくらいに静かだった。


「あっちは、どうなってるんだろうね」と、ルリスが言った。

 

「キリンパンはレグルスに乗ってるのに、なんで声が聞こえてこないんだろう」


「ついさっきまで普通に使えてたから、通信機の故障ではないかな。ムイムイの接着、忘れてるのかも知れない」


ルリスの質問に答えてはみたが、あくまでも憶測でしかない。


「とりあえず、このまま様子を見てようか」


「そうだね」ルリスが返事をし、そこで会話は止まった。


先ほど、夜明け前の奇怪な体験について話したからか、二人の間に気まずい空気が漂っている。こんなところでルリスと仲違いをしてしまったら洒落にならない。


「……さっきは変な話してごめん。誰かに話さないと、気持ち悪くて耐えられそうになかったから、つい」


「ううん、からかってるわけじゃないならいいよ」


ルリスは一瞬だけ間を置いてから言った。


「変なジュースを飲んだとか言ってたっけ? ほうれん草ババロアとか、洋梨セロリとかとは違うのかな?」


いつものルリスだ。プレトに話しを合わせようとしてくれている。


「あ、変わった味っていう意味じゃなくて、砂とかが混ざってるってこと」


「砂?! 異物混入?」


「そうなんだよ……ドリンクバーから出てくるジュースで、味はアップルとバナナで普通だったんだ。でも、なんか混ざってるんだよね」


「ドリンクバーから異物が出てくるなんて、聞いたことないね……そもそも、ドリンクバーはどこにあったの?」


「えーと……」


キリンパンたちに変化がないことを確認してから話を続けた。


「1回目は噴水のそばで、2回目は湯船の中」


「え……?」ルリスが顔をしかめる。「それが現実に起こったって言うの? 湯船のドリンクバーが?」


ルリスがプレトの目をまっすぐに見る。プレトの話を心の底から不思議がっているようだ。


プレトは、ルリスと後方のレグルスを交互に見ながら考えた。

 

宿のバスルームは、ルリスも使った。あの湯船にドリンクバーが出現したなんて、それも消えたなんて、さすがに誰も信じられないだろう。

 

プレトだって逆の立場だったら、ルリスの話だとしても耳を疑ったに違いない。こんな突拍子もないことを信じろなんて、強要することはできない。


離れたレグルスに視線を向けたまま、ルリスの質問に答えた。


「……ものすごくリアルな夢だったのかな。寝ぼけてたのかも」


「……そうかもね」


時間の経過が遅く感じられた。さっさとストーカーを追い払ってほしかった。早く次の街に向かいたい。


すると、プレトの念が通じたのか、黒いレグルスがゆっくりと動き出し、引き返して行くのが見えた。少し経ってから、キリンパンのレグルスも動き出し、こちらに向かってくる。通信機から声が聞こえてきた。


「追い払ったぞ」


プレトは目の前が明るくなった。


「ありがとう。通信機から声が聞こえないから、何がどうなっているのか分からなかったよ」


「通信機のムイムイが足りなくなっちまったんだ」


「やっぱりそうか」


ムイムイが当たり前にありすぎて、つい接着を忘れてしまうということがプレトもたまにあった。ポケットムイムイを持たせてもらったことを思い出し、キリンパンにも少し分けてあげていいかもしれないと思った。


「私さ、ポケットムイムイを持ってるんだ。少し分けてあげようか。いつでも通信機を使えるようにさ」


「あー……」


キリンパンは声にならない声を出した。通信機から音声が途絶える。


「どうした?」


「……いや、それは要らねえかな。接着し忘れて悪かったよ、気をつけるわ」


「え? そう?」


断られるとは思っていなかったので、拍子抜けしてしまった。もらっても何も損しないし、得にしかならないのに。だが、ポケットムイムイは貴重品だし、正体不明の人物に分けなくて済むのなら、その方がいいのかもしれない。


キリンパンのレグルスがそばに来て停止したので、ルリスが通信機に話しかけた。


「じゃあ、出発しようか。また前を走ってくれる?」


「うぎゃあああ!」


プレトの身体が跳ね上がった。突然、キリンパンの絶叫が聞こえてきたのだ。


「なに?! なに?!」ルリスも驚いているようだ。混乱したように喋っている。


「どうしたの?!」


「むしむしむし!」と、キリンパンが喚きちらす。


「むしって?」プレトは両耳に手のひらを当てながら、叫ぶ男に訊いてみた。通信機がなくても、聞こえてきそうなくらいの声量だ。


「むしが入ってきた!」


「え? バグ? インセクト? キャタピラー?」


「なんだよそれ!」


プレトの質問に絶叫が返ってきた。ルリスも両耳を塞いでいる。


「小さい虫か、昆虫か、イモムシかっていう質問。まあ、ハチじゃないなら放っておいても大丈夫でしょ」


「来てくれよ! ストーカー追い払っただろ!」


「ストーカーが平気なら、虫も平気でしょ」


「人間と虫じゃあ、造形が違いすぎるだろうが!」


正直、面倒くさいと思ってしまった。だが、ストーカーを追い払ってくれたのは確かだ。リバースパンダよりも対応は楽なはずだし、救いの手を差し伸べることにした。


「ルリス、行ってくるからちょっと待ってて」


「頑張って!」


助手席から降り、ブラウンのレグルスに向かった。キリンパンもいつの間にかレグルスから降り、地面に突っ立っていた。


「どこ」


「助手席……かな?」


「かな? ってなんなの」


プレトは運転席のドアを開け、レグルスの中に上半身を入れた。助手席のあたりを探してみたが、何も見付からない。


「ねえ、見つからな……」


そのとき、首の後ろに激しい痛みを感じた。電気が走ったような痛みだった。慌ててレグルスから身体を出し、髪を手でおさえる。


その瞬間、何かが手に触れたのが分かった。慌てて手を振ると、足元に何かが落ちたのが分かった。よく見ると、小さな毛虫だ。毒々しい色をしている。初めて見る虫だった。


「ひゃあ! これのことを言ってたの?!」


いつのまにかルリスもプレトの傍に来ていて、毛虫を見て悲鳴をあげている。


「キャタピラーだ」


ビリビリとした痛みをごまかそうとして、プレトはどうでもいいことを口走ってしまった。キリンパンに視線を向けると、涼しい顔をしている。


「虫、怖いんじゃないの?」痛みに顔を歪めながら質問してみた。


「レグルスの中から追い出してくれたから平気だ」


プレトは耳を疑う。虫はまだかなりの至近距離にいるのだ。不思議そうに話を聞いていたルリスが、大きな声を出す。


「プレト! 首が赤いよ!」


患部が腫れてきたようだ。症状が現れるのが早い。


「ほんとだ。介錯してやろうか」


「ちょっと!」


「いて」


ルリスがキリンパンの肩をパンチした。


「冗談だって」


「……」


プレトは、そばにいる男を睨みつけた。彼の言動が、どこか不審に思えたのだ。キリンパンは両手をズボンのポケットに入れ、ヘラヘラしている。首の痛みが強くなってきた。脈打つようにビリビリしている。脳まで痺れてしまいそうだ。

 

(第24話につづく)

 

 

 

作者は 

こんなひと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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