「ただいまー」
「おかえりー」
プレトがホテルに戻ったとき、ルリスは布団にくるまっていた。
ルリスに冷えたスポーツドリンクを手渡し、他のドリンクは冷蔵庫にしまっておく。
そのとき、プレトの携帯電話に着信が入った。誰かと思えば、チユリさんだった。
「はい、プレトです」と電話に出ると、 チユリさんの柔らかい声が聞こえてきた。
「急にごめんなさい。今ちょうど時間ができたから、話せたらなと思ってかけちゃった」
「大丈夫ですよ。ちょうど何もしていませんでした」
「ふふふ。旅の調子はどうかしら?」
プレトはこれまで自分の身に起きたことを詳しく伝えた。チユリさんは最後まで「うんうん」と頷きながら聞いてくれた。
「……そうだったの。本当に大変だったわね。でも、なんとかうまくいくようにお祈りするわね」プレトを心から労る響きだった。
「お祈りですか?」思わず聞き返した。
就職活動中に届く不採用通知は『お祈りメール』と呼ばれていて、それならプレトももらったことがある。
しかしチユリさんは「ええ、神様にお祈りするわね」と言った。
「じゃあ道中、気をつけてね。また連絡するわね!」
「あ、ありがとうございます!」
携帯電話を右耳にあてたまま、プレトは壁に向かってお辞儀をした。
「電話、終わった?」
ルリスが尋ねてきた。ベッドから上体を起こし、ペットボトルの蓋を開けようとしている。
さっきより両頬が赤いように見えた。熱がさらに上がっているのかもしれない。
プレトはサイドテーブルに置かれた体温計を手に取り、友人に差し出した。
ルリスはスポーツドリンクを数口飲んでから、体温計を受け取った。
熱を測り終えたところで、「どうだった?」とプレトが訊くと、 「38.0度」と、返事が返ってきた。 やはり熱が上がっているようだ。
ルリスは肩を落とし、再び布団にくるまった。顔だけプレトの方を向けて問いかけてくる。
「さっきの電話、誰からだったの?」
プレトはその電話の内容を、簡単に説明した。
「そっか、例の優しい上司って、チユリさんっていうんだ」
「そうだよ」
ルリスが赤い頬のままニコッとした。
「思ったんだけどさ。チユリさんが所長になればいいよね」
ははは!と、プレトは思わず笑ってしまった。
「激しく同意!」
「ごめんね」
「え?」
ルリスが急に謝ってきたので、プレトは驚いて、思わず舌を噛みそうになった。
「急にどうしたの?」
「熱出しちゃって、足引っ張っちゃって……」
プレトは黙ったまま、友人のくるまった布団の中に左手を入れた。中を探り、ルリスの左手を掴む。額だけではなく、手もだいぶ熱を帯びていた。
「ルリスが足を引っ張ったことなんてないよ」
「でも……」
プレトは、ルリスの言葉をわざと遮った。
「いつも食事の用意してくれてるしさ」
「……」ルリスは黙ったまま、こちらを見ている。プレトは話しつづけた。
「クリームの傷を治したのもルリスだし、昨日の夜はテントの中で、ずっと私の背中をさすってくれたじゃん」
「……うん」
「それに、ウチワモルフォに先に気付いたのもルリスだよ。ルリスがいなかったら私は今頃、肺炎になってたかも」
「ふふふ」小さく笑っている。少し元気が出てきたようだ。
「明日も続けて宿泊できるか、受付で訊いてみるから、心配せずに休んで」
「それは大丈夫。明日、出発するよ」
「え? でも風邪が……」
「だって、宿代もったいないもん」
語尾に力が入っていた。
そうだ、ルリスは生半可な覚悟でプレトについてきているわけではない。おっとりして見えるが、職業差別や迫害にも耐えてきた、芯の強い女性なのだ。
「……ルリスが言うなら、そうしよう」
プレトが答えると、ルリスはにんまりした。
「あのさ、さっき……」
「うん?」
口ごもったプレトを、ルリスが促す。
「ドラッグストアに行く途中で、変な体験をしてさ……おかしな話なんだけど、ヤモリタルトとかが屋台で売られてて……」
「え、なんの話? 買い物してきてくれたんだよね?」ルリスは困惑していた。
プレトはなんとか説明しようとする。
「うまく言えないけど、犬にヤモリタルトを食べさせたり、死人の列を見たり……」
「え、死人? 幽霊ってこと?」
「うーん、そうなのかな……偶然会った女の子がそう言ってたんだ」
ルリスは眉をひそめて言った。
「わたしの風邪がうつっちゃったのかな? プレトが幽霊を見たとか言い出すなんて」
「私も自分でそう思う……なんか変だよね」
「うーん……」
「買い物は結局、別のドラッグストアで済ませてきたんだ。最初に犬と行った店は、買えるようなものが何もなかったし」
ルリスは目を丸くする。
「犬とドラッグストアに? 一体どうしちゃったの? さっきからなにを言っているの?」
「……ごめん。自分でも何を言っているのか、よく分かっていないんだ」
プレトは肩を落とした。こんなにも説明がうまくできないなんて。
「……わたしも横になってるし、プレトも少し休んだら?」優しさを帯びた声だ。
「……そうしようかな」
プレトは、ルリスの隣のベッドに横になり、頭まで布団を被った。自分が情けなく思えてきた。
旅に出て4日目を迎えた。
2人はレグルスに乗り、次の街に向かって林道を移動していく。
「さっきの人たち、なんだったんだろうね」
通信機からルリスの声が聞こえてきた。
ホテルの駐車場に入ったとき、2人組の男がプレトのレグルスのすぐ傍に立っていたのが見えた。しかも彼らは、プレトとルリスの姿を確認するなり、そそくさと駐車場から出て行ったのだ。
「考えすぎかもしれないけど、なんか怪しい人たちだったね。トラブル続きだから余計に怪しんじゃうよ」
ルリスが心配そうに言った。
「確かに」
プレトも否定しなかった。
林道はやはり、かなり入り組んでいた。枝分かれする道が多く、今にも道に迷いそうだった。やたらとカーブも多く、運転しづらい。
日はまだ沈んではいないはずだが、太陽光が厚い雲と木々に遮られ、夕方にしてはかなり暗かった。
ミラーを覗くと、後ろから2台のレグルスがついてきているのが見えた。そのレグルスはかなりのスピードを出していて、プレトたちとの距離を急速に縮めている。
しかも、2台ともライトを点けていなかった。レグルスは周りが暗くなると、自動的にライトが点灯する仕組みになっているはずだ。わざと消しているのだろうか。なんだか怪しい。
……どんどん近付いてくる。こんなに車間距離を詰めてくるなんて、普通はありえない。
煽り運転は、レグルスの登場によって絶滅したと聞いていた。お互いのレグルスのセンサーが反応し、必要以上に近付くことができないようになっているからだ。それなのに、どうして彼らはこんなに近付いてこれるのだろう。
ドガッッ!!
その瞬間、激しい勢いで追突されたのが分かった。
「うわっ!」
プレトは強い衝撃を感じて、思わず叫んだ。座席全体からエアフィルムが飛び出し、ハンドルごとプレトの身体を包み込む。
ハンドルからは、また別のエアフィルムが飛び出してきて、ハンドルとプレトの両手を包み込んだ。これらは衝撃を軽減するための装置だ。
車体が左回転しながら、左手に逸れていく。遠心力に振り回されながら、プレトには全てがスローモーションに感じられた。
その瞬間、自分の中のあらゆる記憶が、無秩序に脳内を駆けめぐる様子を、どこか客観的に観察していた。これがいわゆる走馬灯というやつだろうか。
ルリスに、オリジナル溶液の本来の使い方をまだ教えてなかった……
ルリスだったら、ホバリング機能でうまくかわせただろうな……
わんにゃん好き好きウィークってなんだったんだろう……
自動販売機の品揃え、改善した方がいいと思う……
チユリさん、神様って言ってたっけ……
本当にいるなら助けてほしかった……
クリームはきちんと牧場に帰れたかな……
ルリス、風邪は大丈夫かな……
レインキャニオンは……
レグルスの右側面が、道路脇の大木に叩きつけられ、動きが止まった。
プレトの身体が大きく揺さぶられる。エアフィルムが身体を守ってくれたが、それでもかなりの衝撃が伝わってきた。 レグルスの浮遊機能が切れ、30cmの高さから落下した。
「うっ」
下から突き上げてくる衝撃に、思わず呻き声が出た。 目線だけ動かすと、2台の黒色のレグルスが目に入った。片方はボディの前部分が大きくへこんでいる。
へこんでいる方はノロノロと、もう1台は猛スピードで走り去っていった。
レグルスは、浮遊機能さえ故障しなければ、どんなにダメージを受けたとしても、そのままきちんと走行できるのだ。
プレトはモヤがかかったような、はっきりしない頭で考えた。2台の黒色のレグルス……やっぱり尾行していたのか。もしや、わざとぶつかってきたのだろうか。
でも、 どうして?
誰かが私のことを恨んでいるのだろうか。
一体、誰が……?
まさか……
徐々に落ち着きを取り戻し、プレトの頭がクリアになってくる。
大丈夫。骨も折れていないし、内臓も無事だ。
プレトは深呼吸をし、透明で、無数の通気穴が空いたエアフィルム越しに、状況を確認した。
レグルスの上半分、ドーム状になっているガラスが、全体的にひび割れている。
ルリスがその窓の向こうで、ガラスをバンバン叩きながら、必死な顔をして叫んでいる。
「プレト! プレト!」
ガラスとエアフィルムに遮られているため、くぐもってはいるが、きちんと聞き取れた。よく通る声だ。
「ドア、開けられる?」
プレトはハンドル横に右手を伸ばし、左ドアの開閉ボタンを押す。
ギィィィィー
2人とも思わず顔をしかめる。
鼓膜を直に引っ掻くようなイヤな音をたてながら、ドアがゆっくりとスライドした。しかし、半分で止まってしまう。どこかが歪んでしまっているのだろう。
ルリスはレグルスの中の様子をざっと確認すると、プレトを覆っているエアフィルムを破いてくれた。とたんに湿った風が車内に吹き込み、プレトの前髪を揺らした。
「プレト、ケガは?!」
「分からないけど、多分……ないと思う」
プレトは身体をよじりながら、エアフィルムから抜け出した。 レグルスから降り立つと、ルリスが強く抱きしめてきた。
「うぐ、ルリス……大丈夫だった?」ルリスの締めつけが強くて、思わず言葉が途切れ途切れになる。
「わたしはぶつかってないから、大丈夫!」
視線を動かすと、ピンクのレグルスが路上に駐まっているのが見えた。どうやら傷一つなさそうだ。
事故が起きた瞬間、ホバリング機能で上空に飛んでいくのが見えたが、どうやら衝突を回避できたようだ。 さすがルリス、風邪を引いていても操縦がうまい。
「……ごめん……ぐるじい」
ルリスの体温が高い。事故で生き残ったのに、プレトはルリスに抱かれて窒息しそうだった。
(第15話につづく)
作者は
こんなひと
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