今日の楽しみは

 


クリームと別れた後、隣街に着くまでレグルスで20分ほどかかった。


その街は、 古い民家が軒を連ねているかと思えば、道を一本隔てたところに、ビルが建ち並ぶオフィスエリアがあったりする。

 

人通りが多く賑わっているが、どこかアンバランスな雰囲気が漂っていた。


快晴の空には、太陽光を遮るものが何もない。

 

真夏の鋭い光が地上を照らし、ビルの窓ガラスをきらめかせている。


「今度はウチワモルフォ、来ないといいね」


ルリスのおどけた声が、通信機から聞こえてきた。


「またレグルスに缶詰めになるなんて、ごめんだよ」


プレトも口角を上げて答える。


昼時に近付いてきたので、食事をとることにした。民家の建ち並ぶエリアに、こじんまりとした定食屋を見付けた。


「あそこ、いいんじゃないかな?」ルリスの声が聞こえる。


「そうだね、入ろうか」プレトが了承した。

 

店に入ると、2人はサバの味噌煮定食を注文した。

 

注文の品が運ばれてくるまで、携帯電話で宿泊施設の情報を調べることにした。

 

どうやらオフィスエリアに、安く泊まれるホテルがあるようだ。


「混んでないみたいだし、ツインルームの空室があるから、ここに泊まろうか?」ルリスに携帯電話の画面を見せて言った。


「そうしよう」


「予約するね」


プレトがホテルのサイトに入り、予約の手続きをしていると、ルリスが心配そうに尋ねてきた。


「今さらだけど、ホテルに泊まっても大丈夫かな。資金が半分になっちゃったし」


プレトは予約を済ませてから答えた。


「半分になったとはいえ、まだお金に余裕はあるから大丈夫。それに、これからも野営はするつもりだし、問題ないと思う」


「まだそんなに残ってるんだ。元々いっぱいあったんだね」


「うん。装備も資金も、上司がたくさん用意してくれたんだ。所長には内緒でね」


「へぇ、その上司、優しいんだね」ルリスが満面の笑みになる。

 

2人は定食屋を出ると、それぞれのレグルスでホテルへ向かう。

 

しかし、 プレトにはさっきから気になっていたことがあった。

 

黒色のレグルスが2台、ずっと二人の後をついてきている感じがするのだ。

 

クリームを預けた動物病院の近くでも、似たようなレグルスを見かけた気がした。


もっとも、黒色のレグルスなど、どこにでもあるものだし、現時点でそれらのレグルスが二人の後を追っていると断定できる証拠は何もなかった。


ルリスの歌声が通信機から聞こえてくる。


スパイが活躍するアニメのオープニングだ。曲はアップテンポで明るいが、そのアニメの登場人物たちはみんな隠し事だらけ。


「隠し事だらけ…」プレトは、小さな声で、思わずぼそっと呟いた。

 

目的のホテルに着くと、駐車場に入る。例の2台の黒いレグルスは通りすぎていった。


並んで駐車すると、疲れた様子でルリスが彼女の愛車から降りてきた。 

 

必要な荷物だけをまとめ、ホテルの受け付けでチェックインし、カードキーを受けとる。

 

全体が黒色で、シルバーのラインの入ったスタイリッシュなカードだった。

 

あてがわれた部屋は3階にあって、静かで過ごしやすそうな角部屋だった。


「やっと落ち着けるね……」


ルリスがそう言いながら、よろよろと壁際に歩いていく。

 

サイドテーブルに荷物を投げるように置くと、ベッドの上にうつ伏せに倒れ込んだ。


プレトが話しかける。


「ここまで、車中泊とテント泊だったからね」
「ねー」
ルリスが枕に顔をうずめたまま答えた。


「さすがに疲れたね」
「ねー」
「トラブル続きだったし」
「んー」
「さっきのサバの味噌煮定食、美味しかったね」
「んー」
「……ルリス?」
「んー」


いつもならルリスの方が積極的に喋るはずなのに、ベッドに倒れ込んだまま、微動だにしない。


「どうした?」
プレトがルリスに近付き、うつ伏せになった友人の身体を横向きにした。

 

とろんとしたルリスの目が、プレトの視界に入ってくる。


「眠い?」
そう言ってプレトは、何気なく友人の額に手をあててみた。


「え! なんか熱いぞ!」
「んー?」
プレトは、自分のバックパックから簡易救急セットを取り出した。

 

クリームの手術に使ったのとは別の救急セットだ。先ずは体温計でルリスの熱を計ってみる。


「37.8度…」プレトが体温を告げた。
「え…」ルリスも驚く。
「…ちょっと換気しようか」


プレトは、ベッドの傍にあったこの部屋で唯一の大きな窓を開けたが、少しスライドさせたところで止まった。

 

事故防止のために、15センチメートル程度しか開かない仕様になっている。


空に目を向けると、いつの間にか厚い雲に覆われていた。

 

この街に着いたときは、あんなに快晴だったのに。半開きにした窓から、かすかにギターの音色が聞こえてきた。


やってしまった。ルリスを病気にしてしまった。プレトは密かに自分を責めた。


「……ルリス、いつから我慢してた?」
プレトは動揺を悟られないように尋ねた。


「我慢してないよ」あっさりした返事だ。


「本当?」
「うん。さっき歌ってるときに、身体がだるいなって気付いたの。まさか熱があるとはね」


様子を見るに、大した症状ではなさそうだ。


「どこかでスポーツドリンクでも買ってくるから、ここで寝てて」


「うん、ごめんね」ルリスが蚊の鳴くような声で答える。


「謝ることはないよ、無理させちゃったね」


「ううん」ルリスは再び、枕に顔をうずめた。

 

プレトは、携帯電話と財布とカードキーを手にして部屋を出た。


エレベーターに乗ってフロントまで移動する。

 

さっき受け付けをした際、そこに自動販売機があったのを思い出したのだ。

 

 エレベーターから降り、自動販売機に近付いていく。


ドリンクの値段を確認すると、思わず「うっ」と声が出てしまった。恐ろしく高い。スーパーの2倍はする。


しかも、品揃えが最悪だ。


スポーツドリンクはなく、『大根ココア』と『ドリアンミルクティー』なんてものがある。こんなものは今まで見たことがない。


ここで買うのはやめて、店を探すことにした。どこで買おうと、この自動販売機よりは安いはずだ。

 

携帯電話で調べてみると、近くにドラッグストアがある。徒歩で向かうことにした。


プレトがエントランスから外に出ると、かすかなギターの音が再び耳に入ってくる。しかも、ドラッグストアのある方向から聞こえてくるようだ。


人通りのまばらな道を数メートル進み、右に曲がると、歩行者専用の道路に入った。ギターの音が少し大きくなってきた。


左手に細い路地があって、ギターの音色はそこから聞こえてくるようだ。

 

プレトはやや迷ったたものの、「少しだけ」と自分に言い聞かせ、恐る恐るその路地に入っていった。

 

路地を抜けると、開けたところに出た。 小さな噴水広場になっている。 

 

プレトはその広場の入り口で立ち止まった。

 

音の出どころはここのようだが、どこにも演奏者は見当たらなかった。

 

近所の家の窓から聞こえてくるのだろうか。


噴水広場の中に足を踏み入れると、辺りがねばつくような空気に変わった。


ギターの音が聴こえなくなり、水の音に包まれる。


噴水の向こう側に、何かがあるのが見えた。

 

近付いてみると、カウンターが設けられており、その上にドリンクバーが設置されていた。

 

 ドリンクバーの右隣には、プラスチックコップやガラスのコップが積んであって、左隣にはミルクやスティックシュガーが備えつけられていた。


どうしてこんなところに、こんなものが。 なんだか不思議な雰囲気の街だとは思っていたが、まさかここまでとは。


「お姉さん、初めてなの? Aはアップルだよ」
後ろから声がした。

 

振り向くと、手に縄跳びを持った、小学生くらいの女の子が立っていた。なぜか靴を履いておらず、裸足だった。


「これ」 少女がドリンクバーを指差した。


プレトが少女の指先に視線を向けると、ドリンクバーのボタンに、たしかに『A』と書かれている。


他のボタンには、別のアルファベットが振られていた。


1つだけ『35日』と書かれているものがあった。


「Aを押すと、アップルジュースが出てくるんだね?」


「そうだよ」プレトの問いに少女は頷いた。

 

 プレトは喉がかわいていたので、ガラスのコップをセットし、Aのボタンを押す。 

 

出てきた液体は、どことなく濁っていた。

 

コップの底に何かが溜まっているのが見える。

 

プレトが飲むのをためらっていると、「飲んで飲んで」と少女が急かしてきた。

 

 仕方なく一口飲むと、味は確かにアップルジュースだったが、口の中がジャリジャリした。


「……水はあるかな?」口をすすぎたくなったので、少女に訊いてみた。


「そこにあるよ」


少女はそう言って、噴水を指差した。 

 

プレトはやむなく噴水のところに行って覗き込んでみたが、水面が羽虫の死骸だらけで、口をすすぐどころではなかった。 

 

眉をひそめるプレトに、少女が一方的に話しかけてくる。


「わたし、ここで縄跳びしてるの。はやぶさを練習してるのよ」


「……すごいじゃん」


プレトは縄跳びなどできたためしがないので、素直に感心した。

 

だが、少女の手にある縄に改めて視線を移すと、細長い蛇であることが分かった。


「……来た」
少女が、一つの路地に目を向けて呟く。

 

 プレトもその路地に目を移すと、一匹の黒いプーリー犬が佇み、こちらを見ていることを確認できた。


「合わせたほうがいいよ」
少女はプレトに耳打ちすると、どこかに走り去ってしまった。


しばらくしてから、犬が口を開く。
「おねえちゃん、ぼくのこと覚えてル?」


いきなり犬が喋ってきたので、プレトは驚いてしまう。プレトは何も言わず、ただじっと犬の顔を見詰める。


「おねえちゃんが小さいころ、おうちで飼ってくれてたよネ。おねえちゃん、おおきくなったネ」


モップのように縮れた毛が、風になびいていた。

 

(第13話につづく)

 

 

 

作者は 

こんなひと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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