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ほんとに

お経やめてほしい・・

RAPT | 仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。 (rapt-neo.com)


昨日は「釈迦」が悪魔崇拝者であったという確固たる証拠を皆さんにご提示しました。
 
やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。
 
要するに、「釈迦」はブラフマー(梵天)という悪魔から指示されて悟りを伝えはじめたというわけで、しかもこのブラフマーはその後、なぜか「釈迦」の守護神にまでなったとのこと。
 
「悪魔」を守護神とする人物がまさか「聖人」であるわけがありません。
 
なので、「釈迦」は紛れもなく悪魔に遣わされた人物、つまり悪魔崇拝者であると断定せざるを得ません。
 
では、この「ブラフマー」とは何者なのかというと、昨日も言いましたように、「サナト・クマーラ」という悪魔の生みの親です。
 
で、この「サナト・クマーラ」はヒンズー教などに登場する神様です。
 
地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
 
ヒンズー教は言わずと知れた悪魔教ですので、悪魔教の神が本物の神であるわけがなく、この「サナト・クマーラ」は間違いなく悪魔です。
 
で、この「サナト・クマーラ」が悪魔である以上、その生みの親である「ブラフマー」も悪魔に違いないわけですが、この「ブラフマー」に守護された「釈迦」のことを、日本人はずっと「聖人」として崇めてきたわけですね。
 
その一方で、私がちょっとブログに「キリスト」のことを書いたり「聖書」を推薦したりしただけで、この国では悪口やら中傷などのメールが殺到します。
 
要するに、悪魔たちとしては「本物の神様を日本人に教えるな。日本人にはこのまま悪魔を信じさせておけ」と言いたいわけです。
 
しかも、日本に「聖書」が広く普及して、多くの日本人が「聖書」を読むようになれば、私のように「天皇」の権威がいかにインチキであるかを知ってしまう人がたくさん出てきてしまいます。
 
なので、悪魔崇拝者どもは躍起になって日本人をキリスト教以外の宗教に帰依させようとしてきたわけです。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
 
天皇について触れたとたん、裏社会からの攪乱工作が激しくなってきました。やはりここが彼らにとって一番の急所のようです。
 
しかしながら、この日本でも神道はなかなか普及させにくかった。そのため、神仏習合を行い、仏教を大々的に広めてきたわけでしょう。そうすれば、日本人の多くが「聖書」には見向きもしなくなりますからね。
 
その上さらに、NHKは「行く年来る年」を毎年の大晦日に放送し、国民ぐるみで「偶像崇拝」を行わせ、神様を冒涜させるよう仕向けています。
 
で、多くの国民が、自分の行いによって神様を怒らせているとも知らず、むしろ新たな一年を無事に迎えられたといって安心し、今年もいい年になるだろうと期待を寄せているわけです。
 
毎年のように初詣に行っても、人生に何の変化もないことなど、もうそろそろ気付いてもよさそうなものですが……。
 
しかし、問題は初詣だけではありません。
 
「釈迦」が悪魔崇拝者であると分かった以上、仏教を信じること自体が「悪魔」を拝むことに他なりませんから。
 
しかも、昨日の記事でも触れました通り、仏教で唱える「お経」は、まさに悪魔をおびき寄せるための呪文に他ならないことが分かりました。
 
「お経」と聞くと、私が先ず思い浮かべるのは「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげいぎょう)」です。(私の家の近所に、熱心な創価信者の方がいて、毎日のように大声でこのお経を唱えていました。)
 
あと、有名なのが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」ですね。マンガなどでお経を唱えるときには、おおよそみんなこの言葉を唱和します。
 
では、「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」との違いは何なのでしょうか。
 
先ず両方に共通しているのが「南無」という言葉です。これはサンスクリット語で「~に帰依する」という意味だそうです。
 
で、阿弥陀仏はもちろん「阿弥陀」という「仏様」のことで、「妙法蓮華経」というのは「法華経」のことです。
 
法華経 – Wikipedia
 
なので、これらのお経の意味はそれぞれ「阿弥陀仏」と「法華経」をひたすら信じ、敬うから救ってほしい、ということになります。
 
ネットを調べてみると、「南無は感嘆詞と思えばいい」ともありましたので、「ああ、仏様。法華経」といってすがるような感じなのでしょう。
 
しかし、この「阿弥陀仏」や「法華経」が本物の神様であれば特に問題はないのですが、当然、これらは本物の神様ではありません。悪魔です。
 
先ず「阿弥陀」ですが、これは大乗仏教の如来の一つだそうで、「大乗仏教」といえばかの悪名高き「密教」も含まれています。つまり、「密教」の神様でもあるわけですね。
 
大乗仏教 – Wikipedia
 
「密教」は悪魔教なわけです(詳しくはこちら)し、悪魔教の神が本物の神であるわけがないので、当然、この「阿弥陀」は悪魔ということになります。
 
Descent_of_Amitabha_over_the_Mountain

〈絹本著色山越阿弥陀図〉

 
 
なので、「南無阿弥陀仏」と唱えると、「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけるのと同じことになります。
 
果たしてあなたはこんな言葉を口にしたいですか。私としては、この言葉をここに書くだけでも気分が悪くなりました。
 
一方の「法華経」ですが、「法華経」には「上行菩薩」という菩薩が登場します。で、この「上行菩薩」が何者なのかというと、恐ろしいことにかの「サナト・クマーラ」なのです。ウィキペディアにこう書かれてありました。
 
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
神智学を日本に紹介した三浦関造はサナト・クマーラと法華経に登場する上行菩薩を同一視している。
 
----------------(転載ここまで)
 
この「三浦関造」が何者なのか調べてみたところ、ウィキペディアではキリスト教の牧師となっていて、その宗派は「メソジスト派」。
 
三浦関造 – Wikipedia
 
「メソジスト派」といえば、かの悪魔崇拝者ジェイ・ロックフェラーと同じ宗派ですね。
 
しかも、この三浦関造の書いた著書の中には「真理の太陽 綜合ヨガ (竜王文庫 1954年)」とか「聖シャンバラ (竜王文庫 1963年)」とか「マニ光明ヨガ (3版 竜王文庫 1974年7月)」なんてものがあります。
 
ヨガとかシャンバラにこうもこだわるということは、この人が悪魔崇拝者である可能性大です。つまり本物のクリスチャンではないということです。
 
この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。
 
まあ、当然といえば当然ですね。この人は「神智学」を日本に紹介したということですし、この「神智学」はまさに「悪魔学」みたいなものですから。
 
その証拠に「神智学協会」を設立した「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」はまさに悪魔学の大家と言っても過言ではない人物です。それは以下のウィキペディアの記事を見れば分かります。
 
ヘレナ・P・ブラヴァツキー – Wikipedia
 
20140120_927952

〈神智学協会の紋章〉

 
 
まあ、それはともかく、「法華経」に出てくる「上行菩薩」が「サナト・クマーラ」であり、しかもこの「法華経」ではこの「上行菩薩」を神様のように扱います。
 
なので、「法華経」が悪魔教の教典であることは疑いようがありません。
 
ということは、「南無妙法蓮華経」という言葉の意味もまた、「ああ、悪魔教の教典を敬います。これに帰依します。どうぞお救いください」ということになるわけですね。
 
で、この「法華経」は「創価学会」や「日蓮正宗」の教典とされているわけですから、「創価学会」や「日蓮正宗」の信者たちはこの言葉の真の意味も知らずに、悪魔を呼び寄せる呪文を毎日のように唱えているわけです。
 
しかも、「創価学会」や「日蓮正宗」では「釈迦」よりも「上行菩薩」のことを格上として扱っているとのこと。
 
上行菩薩が仏(釈迦)より偉いのは何故ですか? - Yahoo!知恵袋
 
つまり、彼らは「サナト・クマーラ」を神として崇めているということです。
 
もちろん、一般の信者の方たちはこんなことなど知る由もないでしょうが……。本当に恐ろしいことです。
 
はっきりと言いますが、悪魔を何度も呼べば、当然、悪魔はあなたの傍にやってきます。
 
昔、コックリさんなんてものが流行しましたよね。
 
で、本当にコックリさんが来たといって驚く人もいました。もちろん、実際に来たと感じなかった人からすれば、こいつは嘘をついているとか、頭がおかしいとか思ったかも知れません。
 
しかし、私から言わせてもらえば、霊物を呼べば、当然、その霊物はあなたの傍に寄ってきます。別にそれは不思議な現象でも何でもありません。
 
その一方、「キリスト教」では「神様」とか「主」とか「イエス様」とか「聖霊様」を呼びますので、そうすると、それら三位一体の神様があなたの傍に来て下さいます。
 
で、これらの聖なる清い霊が臨めば、あなたの心には清さと平安とが訪れます。喜びや希望も湧いてきます。
 
しかし、「悪魔」が臨めば、逆にあなたの心は苦悩と不安と邪念に満ちていきます。そして、確実に人生が破壊されていきます。
 
実際、私の実家のすぐ近くにあった二軒の「創価学会」の信者の家は、片方が火事になり、片方は見るも無惨なほど空き家のようなボロボロの有様になっています。
 
で、創価の上層部だけが大儲けして立派な家に住んでいるというわけですね。もっとも、彼らもいずれは悪魔の餌食になるでしょうが。
 
ですから、「創価学会」はもはや単なるカルトではありません。完全な「悪魔教」です。仏教を装った他の新興宗教もその中身はきっと似たようなものなのでしょう。
 
あと、「仏教」には「お経」の他にも「真言」というものがあるそうですね。「真言宗」の「真言」です。
 
「お経」と「真言」の違いが何かというと、「お経」は仏教思想を記したり、喩え話などで例示したりしている文章だとのこと。
 
一方、「真言」(マントラ)は、もともとは仏教以前の古代インドで、バラモン僧が唱えた神聖なまじないの言葉だそうです。
 
神に呼び掛ける言葉で、唱える声そのものに力があるとされていて、それが仏教、特に密教に取り入れられとのこと。
 
真言 – Wikipedia
 
このウィキペディアの「真言」の記事を見てみると、例えばこんな風に悪魔を呼ぶそうです。
 
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•大日如来-オン・バサラ・ダトバン(Om vajra-dhatu vam)オーン。金剛界の主尊よ。ヴァン。

 

•阿弥陀如来-オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン(Om amrta-teje hara hum)オーン。甘露の威光ある尊よ。運載したまえ。フーン。

•阿閦如来-オン・アキシュビヤ・ウン(Om aksobhya hum)オーン。阿閦尊よ。フーン。

•不空成就如来-オン・アボキャシッデイ・アク (Om amoghasiddhi ah)オーン。不空成就尊よ。アハ。

•宝生如来-オン・アラタンナウサンバンバ・タラク (Om ratnasambhava trah)オーン。宝生尊よ。トゥラーハ。
 
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仏教に出てくる如来や仏様の名前は、すべて悪魔の固有名詞と考えて間違いないでしょう。それらを召喚するのが「お経」であり「真言」であるということです。
 
我々はどんな宗教を信じる際にも、きちんと教理を理解し、教理の意味を分かった上で信じなければなりません。何の説明も聞かないまま、何の根拠も示されていないものにすがりついてはいけません。
 
でなければ、こうして知らず知らずのうちに「悪魔」などを帰依し、召喚することになってしまうのです。そうして、人生が破壊されてしまうことになのです。
 
もっとも、「仏教」には「キリスト教」のように確固たる一つの教典がないわけですから、それももうほぼ不可能でしょう。悪魔どもが人々を惑わすために、わざと教典を作らず、教義を曖昧なものにしてしまったのです。
 
何度も言いますが、この世には確実に「霊界」が存在し、「神様」も「悪魔」も存在します。
 
で、「悪魔」を呼べば「悪魔」がやってくるし、「神様」を呼べば「神様」がやってきます。それがこの世の真実です。
 
あなたの友人を呼べば友人がやってきて、恋人を呼べば恋人がやってくるのと同じことです。
 
あなたの友人を呼んでも恋人は来ないし、恋人を呼んでも友人は来ませんよね。
 
果たして「神様」が来るのと「悪魔」が来るのと、どちらがいいでしょうか。
 
選択するのはあなた自身です。
 
悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。
 
悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。
 
皆さんに神様からの祝福がありますように。
 


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