2016年の夏、哲学青年が一時的とはいえ、

 

 教会や周辺の若者を支配していたことについて変だなあと考察した。

 

 哲学青年は親に虐待されて育った。

 

 まあ、これには真偽が問われるが、一応彼の証言通りに受け止めよう。

 

 そして、彼が支配した人々には特徴があって、

 

 親に虐待、または父親不在の家庭だった。

 

 彼に支配されて、家族のある者は私だけだった。

 

 だから、私は最後、彼の野望を打ち破る存在になった。

 

 これってよく独裁者にありがちなパターンだと思う。

 

 独裁者の大半は辛い過去があってのし上がる。

 

 ヒトラーだって、過去は栄光とは遠い。


  ルイ16世は名君だが、なんていうかカリスマ性はない。

 

 おそらく皆さんはルイ16世の回想録よりも、ヒトラーの独白のほうが、

 

 読みたいと思います。

 

 だから、たまに本屋に「我が闘争」いまだに売っているね。

 

 これをダークトライアドの一種かな?

 

 辛い過去のある人のほうが、恵まれた人よりもカリスマ性を帯びるのか?

 

 先日、ある青年と話して、その青年は政治家になりたいそうだが、

 

 恵まれた青年だったので良い意味でカリスマ性がない(笑)

 

 いや、とても心温かい良い青年です。

 

 むしろカリスマ性をのちに犯罪の闇に堕ちた哲学青年のほうが問題です。

 

 今、世界は悪い政治家や独裁者に満ちている。

 

 彼らは悪い意味でカリスマ性があるのは、

 

 じつは辛い過去があるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 私の信仰の宗派は?と言われると、キリスト教社会派です。

 

 まあ、はっきりと決まっているわけではありませんが、どちらかというとです。

 

 以前は聖霊派や福音派の時代もありましたが、これには訳があります。

 

 あの、哲学青年の悲劇のことです。

 

 私は親との関係が良いので、福音派でも聖霊派でも構わないのですが、

 

 この二つの宗派は親との関係と神との関係が絡みます。

 

 神との関係と親との関係は似ているというか、強調されます。

 

 だから信仰を持っていても、親子関係の悪い人は苦しみます。

 

 哲学青年は親に虐待されました。親殺しの願望を持っていました。

 

 だから信仰を持っていても、求道者でも、教会に異端視されました。

 

 私は逆でした。私は親との関係が良好なので、信仰をさほど持ってなくても、

 

 教会にそれも、福音派でも聖霊派でも自然と溶け込めます。

 

 なんていうか、これは信仰とかでなく、協調性の問題です。

 

 哲学青年と私は対照的でした。

 

 だから惹かれあった仲でもありました。

 

 でも、哲学青年は教会に異端視されていたことに恨んでいました。

 

 しかも、聖書研究会に彼が異端視されたことで拒絶され、

 

 空席になった彼の席に座ったのは、なんと私でした。

 

 信仰を熱く持つが、親殺しのことで異端視された彼、

 

 信仰心がないのに、親子関係が良好で、教会に受け入れられた私、

 

 これがのちに、彼が私を独占して奪う事件と発展しました。

 

 そして、彼は教会という社会を失うきっかけとなり、

 

 彼は死に至ります。

 

 私は教会の親子関係に固執することが嫌になり、

 

 哲学青年の悲劇と死のことを悲しみ、

 

 キリスト教社会派ということになったのです。

 

 本当に、おかしいことです。

 

 私はキリスト教やクリスチャンは好きです。

 

 でも、教理に縛られているのがかわいそうです。

 

 哲学青年は教会にいっそうのこと身を置かないほうが、

 

 絶望して死ななかったのです。

 

 教会なんて所詮せまいコミュニティです。

 

 そんなところで傷つかないでほしい。

 

 世界は広い。

 

 そして、教会の親子関係の教理で傷ついた人に言いたい。

 

 親を無理に愛すな、広い社会を愛してほしい。

 

 社会とは、友達でも、知り合いのこと、身近な人々のことです。

 

 そして、市役所や行政機関、医療や福祉、などもです。

 

 教会なんて狭い世界に囚われないで。

 

 教会はあくまでもひとつのコミュニティですよ。

 

 それが現実です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい仕事をして、楽しいです。

 

 これでお給料が入るなら大喜びの仕事です。

 

 今まで採算度外視の人形衣装作家時代もあったから、

 

 やっと収入が入る(笑)

 

 でも、足が痛い!

 

 これのお仕事はウォーキングシューズでは無理です。

 

 ナースシューズでないと無理です。

 

 まあ、おっちょこちょいなので細かいミスはあっても、

 

 大きいミスはありません。

 

 就労移行支援事業所で報連相を勉強して良かったです。

 

 そういえば、昔「おたんこナース」という漫画がありましたね。

 

 なんかもう一度読み返したいです。

 

 今の私、おたんこナースかもね。

 

 

 哲学青年との恋愛事件があってもう10年です。

 

 事件直後、ブログも乱れて、沈黙を強いられました。

 

 PTSDになったこともあって大変でした。

 

 PTSDは数年間続き、北里で終わったような気がします。

 

 10年の時、そして哲学青年の死、感情はたまにそれでも、

 

 持っていき場のないときもあります。

 

 やはり、なんで哲学青年を救うことができなかった後悔の念があります。

 

 彼はホメオパシー医学に走り、私は北里の最新医療に、

 

 それが運命の分け目でした。

 

 そして、彼は犯罪者かな?噂だと、私は高級ホスピスでの現代版メイドと、

 

 なりました。

 

 関係は……だめだこりゃですね。

 

 昔、創作したアルベリッヒとラオネはハッピーエンドでしたが、

 

 現実にはそうはいかない。

 

 それが現実だから、ね。

 

 関係ないけど、アルベリッヒとラオネの続編はうっすらと頭にあります。

 

 アウグストかな?という息子が二人の間に誕生します。

 

 アウグストは濃い金髪碧眼の美男子です。

 

 けど、アルベリッヒよりまともでイメージが付きにくい!

 

 ……私には子どもはいません。

 

 哲学青年との運命の恋にある信頼できる人に相談したら、子どもが必要と、

 

 いわれました。

 

 そうですね、たまに思います。

 

 哲学青年の子どもが欲しかったと。

 

 でも、当時は健康上も経済上も無理です。

 

 今よりももっと不健康だったし、人形衣装作家時代も、あまり稼いでません。

 

 いまみたいに健康も仕事も確実に得ていたら、話は違いました。

 

 哲学青年も両親に虐待されたのでいい父親になることも難しいです。

 

 この後悔の念は一生続くでしょう。

 

 私にとっての後悔は、子どもを産まないことでなく、哲学青年の子どもを、

 

 産まなかったことです。

 

 それだけ、哲学青年を愛していたのですね。

 

 彼が道を外したのも、私に責任があるかもしれません。

 

 

 

 

 病気が治って(寛解)してただの人になった実感がします。

 

 いや、逆に言えばつまらない人ですね。

 

 通りすがりの人です。

 

 北里から退院してから、新しい世界に行って真面目にただの人に、

 

 なっちゃいました。

 

 いや、いいよ、ただの人。

 

 髪の毛もバッサリ切ったし、昔の知り合いもいるけど、

 

 やはり違う人みたいになったらしい、私が。

 

 困っているのは北里時代から3年経ってもまだ生活に慣れないことです。

 

 なんでたった3か月の入院でこんなにも人生変わるの???

 

 私、聞いたことありませんわ……。

 

 このブログもずいぶん変わりました。

 

 う~ん、たまに社会派になったりするよね。

 

 人って変わるなあ、北里から退院してから浦島太郎状態です。