- 前ページ
- 次ページ
よく、節約、節約ってメディアで言っているけど、
あれって何かの宗教の教えですか?
もちろん、ある程度の節約は大切ですが、
なんか贅沢が悪徳で節約が美徳になりすぎてない?
……過度な節約は怒りを産む。
それは結局戦争をうながす怒りに変わる。
……過度な節約は心身を蝕む。
結局は病気になる。
そんなに節約文化は素晴らしいとは思わないし、魅力的に聞こえない。
ただ、そんな私も無駄だけは気にする。
中原淳一という昭和のカリスマ的クリエーターが、
贅沢は良いけど、無駄はするなと言っている。
贅沢は結局は栄養になるけど、無駄ってなにもならないからね。
必要な無駄は贅沢の部類だから良し。
昔は私の街にも紅茶屋やフランス製の小物などの文房具屋があって、
とても素敵でした。
しかし、戦争の経済の影響でお店はなくなりました。
今の街はすさみました。
節約文化って結局は戦争文化なんです。
だから、反戦派の私は過度な節約文化に反対します。
10年の時を経て、哲学青年の死と破滅を牧師に語る日が来ました。
その牧師さんは今までの牧師さんの中でも徳の高い方です。
牧師さん曰く、
哲学青年や親友は選択の死だった。
神は人間に自由を与えた。
死ぬことも、生きることも…。
そうか、私は北里で選択の生をとったんだね。
人間はプライドのためにも死を選ぶこともあるそうだ。
私は、哲学青年や親友に選択の自由をプレゼントした。
生きることを強制しなかった。
でも、私は彼らのためにいつも祈っていた。
薬を飲む飲まないと色んなブログで書かれてますが、
私は飲む派です。
薬って医者との信頼関係。
私は比較的医者と仲が良いです。
というよりも命の恩人です。
北里で医師たちとの信頼関係が強固となりました。
北里の精神科に入院しましたが、任意だったので自由でした。
何で任意かというと、拒食症ではないけど口が麻痺して、
何も食べられないという症状で、
もちろん心もやられたけど、自分がおかしいとわかっていました。
自分がおかしい、これを認めることは大変です。
でも、大丈夫、薬を飲めば治るから。
……私は哲学青年こと恋人や親友が薬を拒むことで彼らの未来は閉じました。
私の家が障がいに一切偏見ないのは、私の父が腎臓移植して、
父も一応障がい者一級です。
でも、しっかりと仕事をしました。
つまり、色々あってもその人の生き方で人生は開ける。
私も一時は病で人間関係壊れたけど、今は元通り、いや、良くなった。
そして薬否定派もいると思うけど、残念ながら薬は万能ではありません。
薬との相性も悪い人もいる。
父も腎臓移植した大成功例ですが、移植もドナーとの相性があります。
そこが難しいところです。
去年の夏に哲学青年の死を知りましたが、これって100%ではありません。
そう、あまり信頼できない情報でもあります。
まあ、信じるしか?ないのだけど……。
私たちの教会でクリスチャンたちが罪罪言っていますが、
哲学青年は間違いなく犯罪者なので罪びとです。
そんな生ぬるいもんじゃない。
私の10年前ですが、拉致軟禁事件後、彼は、
一切私に謝りませんでした。
彼は罪から逃げることしかできない男でしたね。
このことははっきりいってダメな奴かもしれません。
たまに、昔の私の創作上の人物のアルベリッヒと哲学青年についてAIに尋ねたら、
アルベリッヒと哲学青年は似ているけど、アルベリッヒは改心できたというか、
自分の罪に向き合えた立派な人でした。
まあ、架空の人物だから、なかなかできないこともできるのでしょう。
哲学青年は現実だから、彼は実際には何度も罪を重ねることしかできない。
昔、ある宣教師曰く、哲学青年は成長できない要素を持っていた。
話は戻って、もしも哲学青年が生きていても、私には何もできません。
できることは彼が助けを求めたら、助けることです。
私にはただ無力に祈ることしかできなかった。
実際に何人もの人が哲学青年を救おうとしました。
しかし彼自ら蜘蛛の糸を拒んだのです。
不条理ですね。
10年前の事件のことは後味が悪いですね。
事件のことよりも、一人の人間の救われなさが、ね。
