北里から退院してから、幸福が薄い。
別に不幸なことがあったわけではない。
それは、障害者という悪い言葉のせいだ。
私の亡くなった、哲学青年こと元恋人は義賊だった。
彼も統合失調症の発達神経症であったが、さすが慶応義塾大学出身、
頭は切れていた。
彼は私たちがそういう呼び名で呼ばれることをものすごく嫌った。
私をさらったのも、もともとは解放するためだった。
薬を断たせるという強行突破に出たが、
可哀そうに、彼の野望は消えてしまった。
まあ、手段があまりにも強引だったとはいえ、
私は彼の潔さを知っている。
だからこそ、私は亡くなった哲学青年と親友の遺志だけは受け継ぎたい。
ではなんで障害者と呼ばれるのか?考えたり調べたりした。
それは……生産性が無い、もしくは低いから……。
理由はそこだった。
では、生産性が高かったら?と問いたいが、生産性が果たして人間の、
目的だろうか?哲学的な問いになる。
生産性とはなんだろう?子どもを産むことでなく、金を稼ぐことだ。
しかし、最近、みんなお金お金とうるさい。
なんか、拝金主義と差別が連結しているし、拝金主義が、
戦争を生んでいるように思える。
人間は同じ人間を差別する、愚かな生き物なのだ。
人間は、お金という道具で人殺しする、愚かな者でもある。


