私が刑務所へ移送されてから暫くして父と母が面会に来てくれました。
実家から私が収容されていたW刑務所へは、かなり遠く時間が掛かるのでとても大変だったと思います。
父と母は、電車とバスを乗り継いで面会に来てくれました。
さらに父と母は、私と面会する前に有名なお寺へ行ってきたらしく、母は「(私)ちゃんが健康で幸せでありますようってな。お願いしに行ってきたからな」と言ってくれました。
父も厳しい事を言いつつも父なりに刑務所での生活を応援してくれました。
私の場合は、逮捕されてから刑務所を出所するまで、実家には一度も帰れませんでした。
逮捕されてから初めて迎えた母の日と父の日は、拘置所でした。
その次からは、ずっと刑務所でした。
なので、母の日も父の日も手紙しか送ることができませんでした。
さらに、私の代わりに父と母が被害者の方々やご家族にお詫びをしに行ったと聞き申し訳なさでいっぱいになりました。
本当に親不孝者です。
5月の母の日が近付いた免業日には、保育園から子供達が慰問に来ました。
一生懸命練習してきた歌や劇を子供達が披露している様子を見て色んな想いが込み上げてきて涙しました。
私は、どんな時でも味方でいてくれた母や祖母に小さい頃からよく助けてくれたことを思い出して泣いてしまいました。
慰問に来ていた子供達と同い年くらいの子供を持つ受刑者も多数いるので、すすり泣きをしている声があちこちから聞こえてきました。
慰問は、年に数回あり毎回とても元気を貰い癒されました。
来てくださった方々、本当にありがとうございます。
有名な「受刑者のアイドル」と言われているPaix2(ペペさん)のライブも出所が近付いた時にですが、見ることができました。
”元気出せよ”が特に印象に残っていて今でもよく聴きます♪