シブい黒が出た、ヒズボッラーTシャツ | アーディで行こう

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「普通」を意味する便利な言葉、「アーディ」 地元の足として、とことこ走るバスなんかを「アーディ バス」、エジプトではエアコンなし列車を「アーディ」 そんな方法での旅を紹介しましょう。
え、そんなの自分には無理だって? 大丈夫。「アーディ、アーディ」

このGW旅行の目玉の一つがレバノンのバールベック遺跡。私は一度行ったことがあるのですが、同行者、特に友人夫妻の希望が強く、当日はダマスカスで予定外の楽しいことがあって午前中つぶれてしまったのですが、昼から出発し、バールベックを見たらそのままホムス経由でアレッポの定宿泊という強行ルートを取りました。

$アーディで行こうバールベックは2007年とは比較にならないほど観光客が来ていました。それでもペトラやパルミラに比べりゃ半分以下ですが... ここでご紹介するのは遺跡そのものではなく、レバノンのおみやげ品。今回は強行ルートなので、このバールベックで買わなければ、ほとんど買う時間がありません。バールベックの遺跡前には2007年にはなかったおみやげ屋が出店していました(写真右)
ああ、レバノン杉のTシャツか、たいしたことないなあと通り過ぎようとすると、店員が「これ3ドル」と出してきたのが、ヒズボッラーTシャツ。

فان حزب اللًه 神の党ヒズボッラー
ヒズボッラーとは、直訳すると、「神の党」。「神」とはもちろん、アッラーです。ただ、誤解があるかもしれないので確認しますが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教、つまりただ一つの神を信じる人達というわけなのですが、この神は、いずれも共通なんです。ユダヤ、キリスト教徒が言う「その名を口に出すのもはばかられる」神(といいながらよく、God...!と叫んでいますが)と、ムスリムがあらゆる機会に口から出るアッラーは、別の存在ではなく、同一なんだそうです。
だから、2009年の年末に話題になったように、マレーシアのカトリック団体が、神の訳語として「アッラー」を使いたいと裁判に訴えるようなことが起きるのですね。ちなみに、インドネシアの聖書では、すでに「アッラー」になっているそうです。実はマレーシアでも、キリスト教徒は長年「アッラー」を使ってきたそうです。

アーディで行こうヒズボッラーといえば日本では、2006年に起きたイスラエルのレバノン再侵攻、その引き金となった衝突を起こした過激な武装組織としてのイメージがあるかもしれませんが、1992年からレバノン議会に議席を持ち、2005年には連立内閣にも参加したれっきとした政党でもある政治組織なんですね。イランのようなイスラーム革命がレバノンにも必要だと唱える、急進的なシーア派イスラーム主義を標榜していて、シーア派の多いベッカー高原やレバノン南部、ベイルート近郊が主な支持基盤です。
もともとはレバノン内戦のさなかに台頭した過激派で、過去にはベイルートのアメリカ大使館攻撃なども彼らがおこしたとされています。
そんな過激派がなぜ政党として支持されているかというと、民兵として地域の治安を担当したり、そこから発展して学校や病院を運営するなど、政府に代わって教育や福祉のサービスを提供しているからです。現在、中東ではこうした武装組織を持った政党が数多く台頭しています。例えば、パレスチナのハマースなんかがよく知られています。イラクで反米運動を担ったサドル派だって、今や議会のキャスティングボードを握る与党です。
右上の写真はバールベック遺跡前に飾られていた各国の国旗。よく見ると、この中にもヒズボッラーの旗があります。写真中央、日陰になっているところに立っている黄色い旗がそうです。

アーディで行こうヒズボッラーのトレードマーク
このヒズボッラー、シンボルカラーは黄色で、シンボルマークは、右の写真。イスラーム過激派にありがちな泥臭いものではなく、垢抜けています。真ん中の大きなロゴは、アラビア語の党名をデザインしたもの。武器を手で掴んでいるところが出自を物語っていて、私はかなり秀逸な出来だと思いますが...
機関銃の上のアラビア語は、

فان حزب اللًه هم الغالبون
The Hezbollah are the victors 
つまり「ヒズボッラーは勝者だ」

ロゴの下には、
المقاومة الاسلامية في لبنان
The Islamic resistance in Lebanon 
イスラーム・レジスタンスですね。

まあ、一般的に体制側から見ればテロ組織、反体制側からみれば抵抗運動です。ヒズボッラーは今や与党ですから、この場合はイスラエルに対する抵抗運動といったところでしょう。
この間イスラエル軍がガザ国際援助船の襲撃・拿捕をして死者まで出し、国際社会から非難されていますが、いったい何を考えているのでしょう。中東で唯一にして最大の理解者であるトルコとの関係も悪化して、どんどん国際社会から孤立していくように思えますが。

アーディで行こうアーディで行こうこれがヒズボッラーTシャツだ
ところでヒズボッラーTシャツというのは、2006年のイスラエル再侵攻あたりからレバノン・シリアで流通していたものです。ヒズボッラーのカラーである黄色の地に、上のシンボルマークをあしらったもので、たいてい、ヒズボッラーの指導者であるナスラッラー師など、政治色の強い絵柄がプリントされています。右写真はそのころ私が入手したもの。これは演説するナスラッラー師という、比較的おとなしめのデザインですが、もっとすごいのになると、

・ イスラエルのものと思われる船が
 空からのミサイルで爆撃される
・ 自爆攻撃に出発する人と、それを
 おだやかな顔で見守るナスラッラー師

といった絵柄があって、かなり過激(というかシュール)です。
だいたいこのTシャツを着ること自体が、ヒズボッラー支持表明の政治的メッセージになるので、親米、反イラン(というか反シーア派)の人も多いヨルダンでは、あまり好ましくないとされて、外では着用しないことを推奨されていました。「洗濯しても外に干すな」とまで言われたものです。
ある日本人が、とある中華料理店でこのTシャツの話をしていたら、そこのギャルソンが話に乗るというより、尋問調に「どこで買ったんだ」とかしつこく聞いてきたそうです。まあ、ヨルダンにもあちこちに秘密警察はいるので。

アーディで行こうアーディで行こうシブい黒が出た、ヒズボッラーTシャツ
さて、今回声をかけてきた店員は、まず始めになんと緑地のTシャツを出してきたのです。あれ、シンボルカラーのイエローじゃなくていいんかい? でもこの緑じゃあ、日本で着るにもちょいといまいちだなあ、とか一同言い合っていると、次に出してきたのが、写真の黒! そのシブさに見た瞬間、みんな虜になってしまいました。黒に黄色はかなりビビッドです。
結局おとな4人、全員買ってしまいました。サイズもM、L、LLとちゃんと揃っていました。
いやあ、いい買い物をした。
さっそくこの間、その4人で旅行清算会(と称した飲み会)をした際に、みんなで着てみました。

右上が前、右下が背中です。これにはシュールな絵が入っていないので、普段着にもできます。でも我が家は田舎だから、だれにもメッセージが伝わらないけど、名古屋あたりに着ていくと、だれかわかる人がいるだろうなあ。