スポーツ報知
「日の丸に寄り添う夏の“桜”」まとめ
▼08年北京から始まり「バンクーバー」「ロンドン」「ソチ」そして今回のリオが5回目。足かけ9年、キャスターとして五輪に携わった中で心掛けていること
「現場には5、6年もその選手をずっと取材している記者さんがいます。僕の取材は1、2日ぐらい。知識量や信頼感ではかなわないので、熱気や空気感を大事にしたい。視聴者が競技で目にするのは数分や数時間かもしれないけど、選手はその日のために4年、いや8年、12年の歳月を費やしてきた方もいる。それを知った上で、選手に思いを重ねて伝えていきたいです」
▼“五輪の顔”というイメージも定着し、選手らの認知度も高くなっている
▼今回の注目選手は
「レスリング女子の吉田沙保里さんと伊調馨さん。今回(挑むの)が4連覇ですからね。特に吉田さんはテレビ番組でデートまでしていますから元カノみたいな感じです。ロンドンの時はお父さんがいましたが、今度は違う思いを持っていると思います」
▼キャスター業への第一歩は06年に日テレ系「NEWS ZERO」への出演。報道番組に興味を持ったのはその数年前から
「20歳前ごろに親知らずを4本一気に抜くために入院した時、1週間ほどテレビをずっと見ていて、キャスターのような仕事をできないかなと思ったのが出発点です。同じ時期に9・11(01年の米中枢同時テロ)が発生し世界で何が起こっているのか調べている中で、報道の仕事を強く意識しました。分かりやすい報道番組の必要性を感じて事務所の方に提案もしました。当時は難しい反応でしたが、僕の希望を覚えていてくれて実現できました。感謝です」
▼ジャニーズ事務所に入ったのは中2の時。友人にけしかけられて“ノリ”で履歴書を送った
「文化祭に行くと、よく女子高生にジャニーズJr.に間違えられて写真を撮られたりしていたら、友人が『お前、Jr.いけんじゃないの』って。『じゃあ、やっちゃう』という軽いノリでした。家族にも内緒で履歴書を送ると、1か月後ぐらいに返事が来ていました。サッカーの部活が終わって帰宅したら『1次審査を通過しました』と通知が…。差出人がないので封が開けられている状態でした」
▼ご両親の反応
「その時の光景はよく覚えています。母がダイニング、父はリビングに。『何でこんなの来ているの』と母は笑っていたけど父はブチ切れていました。親に黙って芸能事務所に履歴書を送っているんですから、僕が親でも『勝手なことやりやがって』となりますよ。父には(2次審査には)『行くな』と言われたけど、なんだかんだで、車でオーディション会場に送ってもらいました」
▼ジャニーズJr.として活動する一方、学業優先を貫く。これは事務所始まって以来のスタイル
「完全に学業優先で、試験の1か月前にはJr.を休んでいました。ドラマ出演の話もありましたが『修学旅行があるので』と断ったら、不思議な顔をされました。本気で向き合っている子と比べたら全然温度も違っていたし、元々この世界に骨をうずめる気はなく高校で(Jr.を)やめる気でした。そしたら高3でデビューしたのでやめられなくなった感じです。もし、半年デビューが遅かったら僕は事務所にいないと思います」
▼嵐のメンバーは知らされていた
「はい。最初は僕と松本(潤)と二宮(和也)の3人でした。ハワイでのデビュー会見が決まったころ、(ジャニー喜多川)社長が『大野(智)は歌がうまいんでリードボーカルとして入れたい』。そのうち『なんで相葉(雅紀)がいないの。かわいそうじゃない』と。元々Jr.時代に二宮、松本、相葉の3人で活動していたからですが、社長が言い出したのが出発の3、4日前に『パスポート持っている?』って感じでした」
▼99年に嵐としてデビュー。翌年には大学に進学したが、学業優先のスタイルに揺るぎはなく。鋼の意志を持って両立に臨んでいた
「『よく4年で卒業できた』とか言われますが、そもそも留年したら嵐をやめる気持ちでした。大学3年の時『木更津キャッツアイ』(TBS)に出演して、4年で『よい子の味方』(日テレ)の主演。(両立は)すごい大変だったけど、この道を選んじゃったワケですから…。僕がやっていることは醜いアヒルの子のように、学校は『なんで芸能活動やるの』、芸能側からは『なんで学校に行くの』と認められないこと。それを成立させるためには、どっちも100点の答えを出さないと大人は納得しない。当時は大人を納得させるために闘っていた感じですね」
▼嵐が国民的なアイドルとなり、グループとしても個人としても存在感が高くなっている。嵐はこれからどこに向かうのか
「他の4人は違うと思いますが、あくまで個人的な意見として聞いてください。昨年、宮城でブラストというコンサートを開いたんですが、僕らが足を運ぶことによってその街が元気になるというか、気持ちとともに経済的にも豊かにしたい。CSR(企業の社会倫理的な活動)といったら大げさですが、社会に還元できる活動をグループの機能の一つとして持っていたいと思います」
▼先ごろ、障害者らのサポート方法などの習得を目的とするユニバーサルマナー検定2級を取得。思いは五輪同様にパラリンピックにも強く向けられている。
「パラリンピックを成功させることで、成熟した東京を世界に届けられると思いますし、僕自身もこれまで以上にブラインドサッカーや車いすバスケなどいろんな競技をしっかり取材したいです。僕の知り合いが2年前に車いす生活になり、一緒に食事に行くと移動の大変さを実感します。パラリンピアンや観戦に来られる方が足を運びやすい物理的な環境が整うといいと思います。東京総バリアフリーというか、2020年はひとつの目安になりますね」
▼“櫻井パパ”には「違和感あった」
31日は東京都知事選の投開票日。一時は父である桜井俊・前総務事務次官(62)が有力候補として名前が挙がり、「息子に迷惑をかけられない」として辞退したという報道もあった。本人にはどう映っていたのか。
「別に何も感想はないですけど、おれが息子なのにな~と思って見てました。(「息子に迷惑―」発言は)直接本人に聞いていないんで何とも分からないですね。まあ“櫻井パパ”というのは違和感があったというのがひとつの結論ですかね。彼の息子が僕なだけ。父が出るなら出るで、それは彼の選択ですから」