『ただ生かされている』この命だから
……だから何をするのか
何かをするために生きているのでなく
『何のために』生きているのか
もう一度言います。
『ただ生かされている』命なのに
“何かのために生きる“、をすると
それはエゴであり
外に外に向かい
自分から離れていき
本当にこの世に
魂と共に授かった
今の命を
生ききれなくなります。
『ただ生かされている』命だから
だから
『何のために』生きるのか
『何をして』生きるのか
『何のために』生きるかを
もし、今、問われたら
答えが出ますか?
『何をして』生きるかを
もし、今、問われたら
何と答えられますか?
私が、そう問われ
師から問われ続け
ずっと出なかった答えが
9/11もまた、
『何のために生きていますか』と問われて
その時、ウチから湧いてきて
『喜ぶため』『たのしむため』『遊ぶため』
と、
やっと答えることが
できました。
そして、続けて
師より
『何をして』生きるのですか
と問われて
また、答えられず
しばらく
自分に向き合っていましたが
やはり『何をして生きる』は
自らは、全く出てこなくて、、、
その答えを、保留にしようとしたところ
こんなことは
これまで、あまりない事ですが
答えに近いものを
師より与えられました
向こうから答えがやってきました。
『出しなさい』『書きなさい』と。
『出す』をしようと
7/19早朝から始めた
このブログです。
その日、『出す』を始めた途端
早速、現象化は起き
その日、それまで
硬い硬い拳の中に
握りしめていたものが
さっとその拳をゆるめられ
握りしめていたものを
手放す体験が
やってきました。
落雷が
落ちたかのように。
7/19から始まった
私の『出す』『書く』体験が
『何をして生きるか』に
なっていくとは
その日は思わず
『ただ出す』を始めた
この日。
『出す』ほど『出てきて』
『書く』ほど『書く』が起こる
起こってくる
『出して』『出して』
どんどん『出して』と
言われるまま
言われたまま
『出す』と『書く』をしてみます。
『何をして』生きるかの
今の答えとして与えられたものは
『出す』と『書く』
自らの『体験』と『気づき』の
備忘録が
おそらくいつか
光となるのでしょう
アーヘン・レイ
2021.9.14
白山のふもとにて
写真は今年3.11の夕焼け



