どうも!助産師です!!
 
 

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この世の中に看護ほど
 
自分自身は決して感じたことのない他人の感情のただ中へ自己を投入する能力を、
 
これほど必要とする仕事は他に存在しないのである。
 
そして、もしあなたがこの能力を全然持っていないのであれば、
 
あなたは看護から身を退いたほうがよいであろう。
 
byナイチンゲール
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この言葉は、ある本を読んでいて出てきた言葉でした。

まさかこの本からナイチンゲールの言葉が引用されているとは!!!
って思って、


 
私はこの言葉を知りたくて、ナイチンゲールの本を読みました。



ナイチンゲールの言葉集。
ナイチンゲールの看護覚え書。


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ナイチンゲールは

白衣の天使、クリミアの天使と言われていますが、
 
そんな天使というイメージとは程遠い、情熱と信念のある女性だ。

戦略的。

ガツガツ行動派!

資産家の娘だったナイチンゲールは、

当時は淫売婦がしていた病人の世話に携わり、

「看護」というものにした。




 
学生の時、読んだことがあったはずのナイチンゲールの本。
 
看護学校の時は、まったく看護自体にも面白さを感じていなかったので、
 
看護師のバイブルと言われるナイチンゲールの本を読んでも

「顔がブサイクだな」とか
「患者のために献身的に看病した人ねーーふーーん」とか

そんなことばっかりにしか印象に残っていなかったw
 
が、改めて読んでみて・・・いや、すごい人だったんだと・・・いまさらながら気づく。
 


私は結構「いまさらながら」という言葉を使うけれども、
気づくのが遅かった~~~~!!!!という思いは、ない。
 
私に必要な時間、必要な事象だったのだと思うからだ。
 
今までの経験がなければ今の私はないと思うと、
遅いも何も
「今気づいたことそのもの」に喜びを感じる。
 


初めのナイチンゲールの言葉に戻るけれども

ナイチンゲールが

感じる力がものすごく長けていたんだな、と思わせる言葉だ。

自分の中の感じるものを大事にしないと

他人の感情の中に自分自身を投入させることはできない。

しかも、相手は「病む人」であるから

なおさら感じる力が必要だ。





自分が感じていることにさえ気づけば

そこからどうすればいいか、判断できる。ジャッジできる。



誰も、教えてくれなかった。
現場の上司も先輩も、誰も教えてくれなかった。
教わろうと思えなかった、
教わろうとしなかった、というのが正しい表現かもしれない。



 
嬉しい言葉でも厳しい言葉でも

何かに反応して

感じている自分がいるということを、まず知る。

スルーしない。

湧いた感情は全受容。

ほんと、この考え方に気づいて

どれだけ自分が知らない自分と向き合わせてくれたか、と思う。

自分と向き合って、

どれだけ医療の現場で感じでいる自分に出会えたか。

そして

どれだけ知識で埋め尽くされて

感じていることをスルーしていたかを知ったか。






昔は

看護職という自分の置かれている職場が

好きになれなかった。

こんなに働いてもお給料はたったのこれだけ…て思ってしまうほど

肉体労働をしていた。

子どもにも看護師助産師の職に就いてほしくないと思っていた。

仕事は楽で稼げるのが一番いいと思っていた。
(今も、思うけれども「楽」というものの捉え方が変わった気がする)

しかも人と関わる仕事はとにかく、めんどくさいと思っていた。

でも今は変わった。

私は医療の現場が好き。

感じることが好きだ。

好きになった。

人と関わって感じられる、この仕事が好きだ。




私は豊かな環境にいるんだなー、と。

(どんなに厳しい言葉でも、むしろ厳しい言葉こそ、感情が揺さぶられる。
それを感じている自分に気づいた。
すごい気づきだと思った。
うちの父はもんっのすごい厳しいと感じていたけど、その関わりの中で私は感受性抜群に、豊かに過ごしていたんだなー。
それを選んできた自分であるのだなーと改めて感じた。「親を自分が選んで生まれてきている」逃げするのは、好きではないですけれども😑)



「人」(患者やスタッフ)が、
自分(私)という「人」を作り上げてくれる。

自分というものは、

そういう存在なのだな、と感じる。


また話は戻るけれども、



自分と向き合ったナイチンゲールの言葉は

自分と向き合った分だけ受け取れる。


そう思います。

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