私は

娘を産んだ時、

母親になったんだという、

なんとなく

一人前にになったような感覚の喜びを

感じるとともに

母親というものはこうあるべき、と

自分に役割を付与していました。

そういうものだと

信じて疑っていませんでした。







娘が2歳くらいの時

ある子育て法を学んだのですが、

その子育ての方法が実践できない私に

とても苦しみました。

『何で子どもに良いとされるこの方法を子どもはやってくれないのだろう?!私の持っていきかたが悪いんだ…』

とても真面目に

子育てを考えていたので、

その子育て法を学んでいる間、

イライラしたり疑問に思ったら

いつでも質問できるように

顧問契約まで結び、

子育てというものに向き合っていました。






その顧問契約の内容(メールでのやりとり)を今、読み返してみて…

懐かしくもあるけど、

それほど苦しかった子育て…

子どもをボッコボコにしたくてしょうがないほどw

苦しかったです。

自分が壊れる、と思いました。





自分が壊れると思ったピークは

2人目の息子が生まれて数ヶ月間です。




「きょうだい育児」




私は学んでいた子育て法の通りに

実践できませんでした。

・弟が泣いててもお姉ちゃん優先
・弟に関わる時はお姉ちゃんに許可を得る
・お姉ちゃんは弟に嫉妬している
・お姉ちゃんは寂しい思いをしている

あと、いろいろあったかもしれないけど、

全く頭に入っていなくて、

産後は

目の前の赤ちゃんを育てる本能を

私はフルに働かせていました。

泣いたらおっぱいあげたいもん。

ホルモンがそうさせている。

本能。

でも、

頭では

「お姉ちゃんは寂しがってる」
「お姉ちゃんは嫉妬している」
「嫉妬したらきょうだい仲が悪くなってしまう」
「お姉ちゃんに許可を得てからおっぱいあげなきゃ」

とか思ってそう行動していました。

本能とは真逆の行動。

どんなに顧問契約で質問しても

イライラが止まらず、

イライラを抑えることができないのは

私の器が小さいからだ、

と自分を責め、

そして、…




ぶっ壊れました。





手が出るわ足が出るわ、…

転がっていった娘は

こっちを見て

驚いているような睨んでいるような…

それでも泣かない娘を見て

「何で泣かないんだよ!!もっと泣けよ!!」

とマジで思いました。

鬼。

鬼畜でしたね、私。







私は

自分のやりたいようにしてよかったんです。

自分の選択に

自信を持っていればよかった話なんだな、と。

赤ちゃんが泣いてて

おっぱいあげようと思ったら

あげればいい。

「かわいい、かわいい」

と赤ちゃんを見て感じるのであれば、

娘の前でも我慢せずに

見せたらよかった。

それが

私の姿なのだから。

そして、

娘が生まれたての赤ちゃんを見て、

赤ちゃんをかわいがっている私を見て

どう感じているかは

娘にしかわからないし。

そして、

嫉妬していいじゃない。

嫉妬は

悪いものじゃない。

その経験から

何かを得ている。

そして、

必要な感情なのだから感じ切ったらいい。

そして、

娘は

子育てを何も知らない

私を選んで生まれてきた。

強い。

どこまでも強い。

娘をフラットにみるようになって

それをとても感じる。

例え嫉妬したとしても、

それを

生きていく力に変える力を

持っていると信じている。





私がそうだから。






私は、

きょうだいに嫉妬することはなかったけれど、(多分、嫉妬されるほうだったと思う)

つい最近まで

あんなに大っ嫌いだと言い張っていた

両親を

フラットに

見れるようになってきているから。

どんなに

嫌いでも否定しても

両親を選んだのは私。

そして、

育んでもらっていた。

経験させてもらっていた。

それを、

感謝だと思わず

何と表現できるだろうか。







話はまた戻るけど、

私は

子どもを信じている。

巷に溢れかえっている

不安を煽るような情報。

「テレビYouTubeを見せたら子どもがバカになる」
「ミルクで育てたら子どもが犯罪者になる確率が高くなる」
「何時までに寝かせないと、大きくなってから引きこもりになる」

うちの娘、

YouTubeだいっすきです!!!!
ミルク育ちですけど、何か?!
この前娘と2人で女子会と称して24時までキャッキャッ言ってましたけど、何か?!



例えそんな情報があって、

データとして出ていることかもしれませんが、

1%でもそうならない可能性があるのだとしたら、…




子どもの1%の可能性を信じる!!!

そんな未来の不安より、

今の自分を信じる!!!!