このところお子さんたちや大人の会で、「まのいいりょうし」という日本の昔話を語る機会が5回ほど続いた。明日も語る予定だ。

子どもの頃から瀬田貞次再話、赤羽末吉さんの絵による福音館の絵本で馴染みがあり、好きな話だけれど、自分が語りの題材にするとこれまで思わなかったのに、昨年末から急に気になり出して覚えた。覚えた途端に周りのハプニングに巻き込まれるようななり行きで語ることになったり、今年ここまでなんやかやとよく語っていて、来月も予定が幾つかある。この話は、棚ぼたの最たる形の目出度い話だ。

息子の七つの祝いのために猟に出掛けようとした猟師が鉄砲を取り外して石臼にぶつけて筒をへの字に曲げてしまう。息子が止めるのも聞かずに山の池に来れば鴨が13羽固まって降りていて、曲がった鉄砲で全ての鴨を仕留め、その騒ぎに驚いて踊りあがって藪に落ちた鯉と、池から上がる時木の根と思って掴んだ山兎と、山兎が苦し紛れに掘り起こした山芋25本と、鯉が飛んできた勢いで首を折られたキジと、雉の巣の大きな卵13個と、卵を壊さないように枯葉をかき集めた時に出たキノコを持って帰る。炉にあたりながら濡れたハバキを解くと海老がゴシャゴシャ跳ね出るし、モンペを脱げばフナが33匹土間いっぱいに散らばる。息子の七つのお祝いに近所近辺から人々を呼んで腹一杯の御馳走をたべたという話。


この話で初め、鴨を見つけた時猟師が「しめた、狩場大明神」と言うシーンがある。

猟師だから狩場の神様に釣果を頼んでいる言葉だと思っていた。何の気無しに狩場明神とググったら、高野山の地主神だった。三鈷の松に引っ掛かる三鈷杵を空海に教えた、黒と白の犬を連れた猟師は狩場明神の仮の姿だったと書かれていた。


昨年夏に、仕事で高野山へ行き、前回時間がなくて奥の院にだけご挨拶して帰ったので、今回は帰りがけに少し時間を取った。

その前日、遠くから見て気になったお堂があり連れに言って寄らせてもらった。そのお堂がなんだったのか、後から調べて知ることになる。そこへ行ってみてお堂の前の広場に立つと、雲好きには堪らない雲の色かたちが頭上に展開され、驚いたり喜んだりした。

お堂の前に人だかりの赤い柵の木があり、ひとだかりがあるから近くへ寄らなかった。それが三鈷の松であり、お堂が弘法大師の御影堂で、雲は御影堂から湧いていた。そしてこの御影堂の前にあった神社が、狩場明神だったということらしい。

いやはや。