自殺した生徒の遺族が、学校や教師を信頼して、というよりも、信頼し過ぎた挙句に、生徒を自殺に追い込んでしまった、というケースがある。
ここで疑問に思うのは、
なぜ、学校や教師を、そんなにも信頼出来るのか、してしまうのか、ということである。
私は、小中学生時代、教師から、個人的にアドバイスを受けたり、手紙をやりとりする羽目になったりしたことがあるが、結局、教師は表面的なことしか分からず、一時的にしか関心を持ってくれない。
しかし、これは当たり前の話であって、一人の担任教師が、40人の生徒すべてに対して、親身になって理解することなど到底不可能に決まっているのであり、これに文句を言うつもりはさらさらないし、これ自体は問題でもない。
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そもそもの話、学校や教師というものは、人間を教育して常識を教え、社会化するために考案された、ひとつの社会的な方便としてのシステムにすぎず、学校にも、教師にも、欠陥や限界があるのは当然の話なのである。学校や教師を、聖域や聖職と崇めるのは、不明が過ぎる。
即ち、そうしたものに全幅の信頼を置いて押し込むというのは、愚の骨頂であり、そこまで言わずとも、教育の主役は自分であり、自学自習が基本であることは、明確に認識すべきであり、学校や教師に問題を感じるなら、在宅学習を選択することに躊躇すべきではない。
学習のルートも、人生のルートも、幾らでもありえる。たった一つの命は、最大限に尊重されるべき、かけがえのないものなのである。
追記
私の中一、中二の時の担任は、「僕は差別を絶対に許さない」と宣言していたが、実際には「えこひいきをしまくる教師」であった。ほかにも感情的で怒り狂う教師、体罰趣味の教師、事なかれ主義の教師などもいた。・・
それらの実体験と、世間の事例と合わせ、私には学校や教師への信仰心はない。
話は異なるが、ここで小学生時代のエピソードのひとつ。
小4の時、担任の小川先生が「莫迦と言う奴が莫迦」という至言を授けてくれた。
当時は半信半疑であったが?確かに人に言えば喧嘩にもなるし、知能や知識の不足は単純には語れない。しかし、の話、言いたくなる時もあるのも事実。愛想を尽かして、愛情を込めて?でも、使わないに越したことはない。語弊があるのも事実なので。
一方少し前、某アイドルと別のアイドルが、テレビとネット上で「明日やろうは莫迦野郎」と表現するのを相次ぎ耳目にした。
それを言うなら、昔から有名な「今日できることを明日に延ばすな」ですね。
高校教師に教わったとかで、ホンマかいな、と思うのだけれど、本当のところはどうなのだろう。
この言葉、動物の当て字は相応しくないし見苦しい。ひらがな、カタカナ、はそれなりだろうか。しかしこれら低俗語たちがなぜか一般化している。(´・∀・`)ヘー
ともあれ人間は自分に相応しい表現しかしないしできないので、関わらないのが一番ということですね。(´・∀・`)ヘー
へー、へー、が好きですね。(´・∀・`)ヘー
以上で終了です。・・・・・
(´・∀・`)ヘー
ふざけすぎて申し訳ございません!!<m(__)m>(´・∀・`)ヘー