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お引っ越しをすることになりました。

 

久しぶりにブログを書くモチベが生まれ、とても長文の記事を書こうと思ったら、

なんだかHTML形式で半角40000字超過は認めないと言われ、試行錯誤しても解決策が出てこないまま、2時間が経過しました。

 

思えば今までもamebaには色々悩まされてきた事を思い出し、スマホをもったことでフィルタリングから解放されたこと、別にameba独自の機能は全く使ってなかったことなどから、

 

(そんならblog専門にやってるサイトで心機一転スタートするのもありかな)

 

と、引っ越すことを決意しました。

 

ameba側の最後の抵抗か、ブログの引っ越しは出来なかったので一切の記事のない、まっさらな状態からの再出発となりますが、どうかごゆるりと見守っていただけたら幸いです。

 

ただ、自分への戒めとして

「学校では教えてくれないセンター試験対策」の第一弾は手動でコピペします。

 

もうそろそろ明日になってしまいそうなので、いい加減に書きます。約束です。忘れてません。

 

それでは、あちらの世界で皆様と再びお会いできる日を楽しみにしています。

 

 

かにまる

 

私がノートPCを購入してから、一年の歳月が流れました。
8年前には人差し指でダウジングをするかのようなタイピングで、たったひらがな一文字をうつのにも三秒以上を要していた私が、正確さはさておき一分間に300words近くをブラインドタッチできる、少なくともオフィスワークで困ることはない程度のタイピング力を手に入れたことも、このノートPCの存在に依るところが大きいでしょう。
本体も薄型で非常に軽く、白豚な私のよりいっそうの豚化に貢献してくれました。
ここまで語っておいて今更すぎる宣言となりますが、今回の記事は私のノートPCのスペックを自慢するためのものではありません。
そう、あれは昨年の七月のことでした。私がいつものようにPCを取り出し、たまったビデオファイルの編集及び整理をしようと電源を付けた直後の事です。
「無償アップグレードの準備が整いました。Windows10にアップグレードしますか?」
突然画面の3分の2を覆った通知。不審に思い手を触れないようにして詳細を確認します。
その下にある選択肢は「今すぐアップグレード」「今夜アップグレード」
ついでにその右下に「時刻を指定」との文字が。
Yes, Yes, or Yes.逃げ場のない選択に、私の脳はオーバーヒートをおこし、その活動を停止しました。
数秒?数分?…あるいは数日でしょうか。
しばらくして正常な思考を取り戻した私がまずしたことは、ウイルスバスターの起動でした。
そうです。すでに私はこのノートPCがウイルスに侵されてしまったと信じて疑っていなかったのです。
しかしウイルスバスターはむなしく緑色のチェックを表示するのみ。
その状況は、私にこの胡散臭すぎる広告がWindows公式によるものであると、否が応でも認識させました。
確かに、今までWindows XPユーザーだった私にとって、Windows 8は少々とっつきづらいところがあったのも事実です。
しかし、若さゆえの柔軟さからか、私は第2四半期の間に徐々にWindows 8に対応し、ホームボタンを活用した「心源流奥義『Windows空中殺法』」の習得まであと少しというところまでこぎつけていたのです。
果たしてWindows10へのアップグレードは、心源流奥義の習得を放棄してまで行う価値があるのだろうか。私のアップグレードに対する悩みは、つまるところこの一文で表されます。
Windows10が、UIがたとえ慣れていなくてもわかるほどに単純、かつ高スペックなものであるならまったくもって問題はありません。ただちにアップグレードを行っていたでしょう
しかし、Windowsの偶数版は駄作になる、という記憶の中の存在から聞いたジンクスが、私にアップグレードをためらわせていました。
まあめんどくせえしあとでじょうほうあつめてからきめるか、と思い、動画の編集を開始しようとした矢先、私はある事実を再認識します。
そう、通知に用意されている選択肢は「Yes, Yes, or Yes」であること。
この場でYesを選択しない限りは、この通知を閉じることができないということ。
通知を無視して編集作業を開始することも不可能ではないでしょうが、タッチパッドでノートPCを操っている都合上、操作の途中で誤っていずれかのYesボタンを押してしまう可能性も0ではありません。
ひとまず私はホームボタンを押し、PCを再起動する道を選びました。
PCに何かしらの不具合が起きた場合は取り敢えず再起動しろ。完全にフリーズしたら強制終了して再起動しろ。おばあちゃんの知恵袋です。
再起動があけ、再び現れる真っ黒なデスクトップ画面。
現れたのは…私をあざ笑うかのように現れたのは、果たしてアップグレード通知でした。
お前はもう逃げられない、と、画面を占拠してほくそえみます。
「逃げられないなら…真っ向から戦ってやるのみだ!」
私の両の眼に、再び、赤く輝く闘志の炎が灯りました。
もっとも危険の少なそうな、「時刻を指定」にカーソルを合わせます。
心を研ぎ澄まし、人差し指をたて、鋭く左クリックを穿つ構えをとります。
永遠に続くかと思われた静寂を切り裂き、見開いた眼は眼光鋭く、ただ一点、「時刻を指定」にのみ向かう。
鋭く張り詰めるような空気は、今は嵐となりて我が咆哮に震える。
周囲に在りし生命無き者どもすら、間もなき未来を予期し、その全身を震わせ始めた
己が力の全てを一撃に込めるべく、刹那にして限界まで肘を上げたとき、




微かな「疑念」が、俺の心に差した。



「時刻を指定っ…これは、指定後のリスケ、もしくはキャンセルは可能なのか…!?」

もしも不可能だとしたら、かつWindows10が駄作だったとしたら?

指定した時刻までを、最大級の恐怖とともに過ごさなければならない。

尽きぬ不安、絶望の未来、喪失する自我、崩壊する精神。
その先に待っているのは、死だ。

ほんのちっぽけな疑念は、須臾にしてあまりに深い絶望を内包した闇となり、私の未来を閉ざしてしまいました。
振り下ろす先を失った指も、今は力なく垂れさがるばかり。
聞こえるのは通知の嘲笑。圧倒的な闇に鳴り響く、私の心が叫ぶ絶望の慟哭。
燃え尽き、光を失った目を画面にむけると、画面を覆うのはあまりにも強大な邪悪の権化。
全身を襲う、違和感、直後、吐血。それを合図としたかのように、左半身が激しく痙攣をはじめました。
もはやここまでか、かすむ視界に移るのは暗黒、と、一条の光…



光?


見間違えではありません。限りない漆黒の中に、それでも確かに輝く光を。


私の心は確かにとらえていたのです。



そう。


私の心が、最後に残された一縷の希望をとらえたのです。







大学生活を始める都合上、キリスト教の洗礼を受けた気分になっていた私を救うかのように手を差し伸べるのは、神の子の血で清められた
ブラッディ・セイクリッド・クロス
  「♰紅蓮の聖なる十字架♰」
通知右上で燦然と輝くそれは、私に、諦めるのは早いと説いているかのようでした。
可能性は微塵しか残ってはいない。むなしい希望すら奪われることも決して想像に難くない。
それでも、私は十字架を目指し、カーソルを進めました。
既に身体も心も疲弊しきっており、限界まで憔悴しているはずの私が、それでもその希望を求め、カーソルを動かすことができたのはなぜなのでしょう。

『俺ァ、好きじゃねえがな。もしかしたら、これが神さんのもたらしてくれるっつー、【奇跡】って、奴なのかもしんねえなァ。』

今は亡き恩師の言葉が、私の心にこだましました。

「これ…で…」

もう、すべてを失ってもいい。

だから頼むよ、俺の体。

力なんていらない。ただ左クリックができればいい。

ただ、俺が生きた証を残せればいい。


「おわ…り…」

私がカーソルを十字架に合わせたとき、

左半身は完全に使い物にならなくなっていました。

右半身も、末端から麻痺が始まっています。

視界も一層ぼやけ、本当に十字架にカーソルがあっているのか、判断できませんでした。

いや、

心だけは、確かに十字架をとらえていました。

アーメン、心でつぶやき、右腕すべてに今持ちうる渾身の力をこめます。

「……だ…」

あとわずかで左クリックができる、すべてを終わらせられる。

なのに、もう動けない。

押し込むべき1㎜が、絶望的なほどに深い。

あとわずか、無限と見紛うほど長い「わずか」の途上で、私の意識が闇にのまれそうになった、


その、時に、

『なさけねーな、手前ェはやっぱ俺がいなきゃ、なーンもできねェんだもんなァ』

カチリ、確かな左クリックの音とともに、

恩師の声が聞こえたのは、

恩師の手が私の右手に重なって見えたのは

薄れゆく私の意識が求めた、幻覚だったのでしょうか。







それとも…………










END

ご愛読ありがとうございました!かにまる先生の次回作にご期待ください!

スマホで記事を書いていたらアプリが強制終了して記事が消え去りました。

その恨みつらみも追加してPCで記事を書き直したら投稿のタイミングでAmebaからブロックされて記事がすべてリセットされました。


投稿前にバックアップ必須なブログって絶対おかしいでしょ


今の私を形容するなら




スーパー激萎えマン