
地震が起きた11日の14:50頃は、あたしはお茶の水の6階建てのビルの3階にいました。
かなり強い揺れが2、3回数分間隔で起きて、小さなモノが落ちたり倒れたりしました

これまで経験したことがあるかないか、わからないくらいの大きさの揺れで少しビビりましたが、特に身の危険を感じるほどではなくて、とりあえずはネットで地震情報を収集していました

ひとまず、不安がる両親へメールを送ったり、電話したりしましたが。。。。通じない

外の様子をみたら、なんだか道行く人がたくさん。。。
地下鉄の入り口は封鎖されて人が溢れているようでした

ひっきりなしに起きる余震。。徐々に地震の影響がわかってくるにつれて、少しずつ何をすべきかがわかってきました。。
帰らなきゃっっ


電車はこの余震が続く状況じゃ走れない。
人は交通機関の麻痺で溢れていて、道路も車がずっと止まっていて流れる様子もない。。
この時点で時間は18時

松戸の自宅まで歩いたら。。。。4時間。。

ひとまず、ダメ元で東京駅へ向かって、あるはずの柏方面行きのバスが走っているかどうか。。確認をしに向かいしました

東京駅までの道、車は信号関係なしにつまっているし、道にはこれまでみたことのないほどの人が溢れていて。。
それなりに大きい歩道でも人でいっぱいになっていました

それでもその人達の歩みはビックリするくらい早くて。。
この状況を見て、コトの大きさを改めて実感して、震源地付近の被害が心配になりました

東京駅につくと、たくさんの人が寒さから身を守っていたり、一晩過ごすことを覚悟した要に座り込んで頭を伏せている人、中高生は友達と困りながらもまだちょっと楽しそうだったり、駅員さんは必死にお客さんへ何かを説明していたり。
おばさま集団は大きな声で困るわーと会議をしていたり。
本当にいろんな人がここにはいました。
期待の柏方面行きのバスは当然。。運航中止で、駅員さんが何度も同じ言葉を拡声器で発していました

ここで待っていても何もならない。
松戸までのルート東京駅→人形町→日本橋→浅草橋→蔵前→浅草→曳舟→東向島→四ツ木→葛飾区→金町→松戸のうち、浅草から金町間のバスが走っているとの情報を得て、こちらも走っているかどうかわからないけど、とりあえず、浅草まで一息で向かうことを決意

その前に近くのビルのお手洗いをお借りしようと、正面玄関から入り1階のお手洗いに向かうと。。。
道行くのっぽな外人さんにトイレは「B1とB2にもあるよ」とのお言葉をいただいたので、1階に並んでいる人たちを横目に非常階段で下へ降りていくと。。。。
ん・・・・・・

B1ナシ。(ってか、工事中。。)
おかしいなぁ。
とりあえずB2へ。
B2ナシ。(こちらも工事中。。)
だまされたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


なんでやねん。
ここまでの疲れがどっと押し寄せてきて。。でもちょっとおかしくて

信じられるものは自分自身

情報の錯綜には注意しなきゃ( ̄▽+ ̄*)
ということで、19時少し前、東京駅を出発。
浅草へ向かいました

この頃、JRが終日動かないことを発表したとの情報を入手
地下鉄の入り口はどこも封鎖されていて。
車はほとんど動いていないけど、歩行者はそれでも交通ルールをちゃんと守った横断をしていて、車のクラクションなんかも鳴っていないし。
みた感じ、混乱っていう状況なのに、なんだか異様に静かで妙な感じでした

20:30頃、浅草に到着。
警察官が余るほどうようよと交番にいたので、金町行きのバスの状況を聞いてみました

ちょっと予想はしてたけど、やっぱり「ここ2、3時間バスは来ていない」とのことでした

教えてもらったバス停へ向かって前の方に並んでいる人に声をかけても、やっぱり「3時間待っている」との返答

しかもその後ろには、最後尾がどこかわからないくらいの行列になっていて

ほんの少しの希望も打ちのめされて

今度こそ、歩いて松戸まで帰ることを決意

もう足は痛いし、なぜだか腕がつってるし、何よりこれだけ歩いても寒い

バイトさんが来れなくて2人で大勢のお客さんを相手にしているラーメン屋さんでラーメンをすすって、気合い入れ直して松戸まで、歩き出しました

これが21時位でした

建設中のスカイツリーを前にして、これがもし倒れたら。。。
ここまで届くよね。なんて、恐ろしい方の想像をしたり。
なんて笑いながらもちゃーんとカメラに収めてみたり(没写真
)廻りの歩いている方々と競うように早歩きで、ぐんぐん止まっている車を追い越して。
道はひたすら国道6号線を真っすぐ。
国道だろうが何だろうが、今は歩行者の方が早い

車に抜かれた記憶がないくらいっ

止まっているタクシーの料金メーターを覗き込んでは、「ほーほー。¥15,000かー。(`∀´)」なんて、性格悪そう(汗)な楽しみも見つけつつ

途中、自転車屋さんがあると、そこはたくさんの人が並んでいて・・・
まさか

と思ったけど、やっぱり、買って乗って帰るご様子のみなさま

たぶん、このちいさめな自転車屋さんは創業以来の大繁盛なんじゃないかと。。

救急車が大きなサイレンを鳴らして交差点を左折。
「逆走します

」のアナウンスで、反対車線の方へ曲がろうとすると、止まっている車達のスーパーバック


歩行者「おーーーーー

」「ご協力ありがとうございます
」の救急車の叫びでなんだか、日本てすばらしい国じゃん

って、思えてきました。
中川の大きな橋の上は、本当に寒くって

鼻水凍りそうだったけど、こんな経験もしばらくはないんだろうなって、クラーイ川とほんのちょっとの星を眺めて渡りました

橋を越えて金町までつくと、一人のおじさんとご一緒になりました。
小柄だけど、地元のおじさんって感じの気のいい感じ。
ひたすら歩いていると、声をかけられました

「どちらから
」「東京駅から」と答えると
「おりゃ、新宿から7時間もかかっちまったよ
」新宿から7時間

ほえー。。。
上には上がいるもんです

「もうあと自宅まであと10分」
めちゃめちゃいい笑顔です

「70年生きてきて、 こんなこたー初めてだおりゃ
」えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

おじさん、70歳

おじいちゃんじゃん

20代のあたしでさえ、かなり足が痛いし、なんだか関節がおかしくなってきそうなこんな情けなーい状態なのに

まじかぁ。
しかも、「明日はし・ご・と
」だそうです

あたしのしってる70代は新宿から金町まで歩いて帰るなんてこたー考えないもんです

しかも、7時間でここまで着くって。。
けっこう良いペースなんじゃないっすか


さすがに、「もうすぐ家に着くという心境は
」「いやー。ゆっくり休みたいねー
」そりゃそうですよー

おじさんをちょうど家の前までお送りするような形でお別れして、こちらもあと一息

ゴールに向かって歩き出しました

最後の砦・・・・江戸川っ

ここまできたら、もうこっちのもんです

川を渡る橋の上で「千葉県」に突入した時は、もう、ホントにほっとしました

ようやく帰れます(´∀`)
江戸川の大きな土手に沿って松戸まで向かってるときには、家に帰る前にちょっと甘いものでも買って、お茶入れて、夜中だけど、リラックスタイムにしちゃおうかなぁなんて、考えたりもして

ココロはルンルンで重くなった体を引きずって見覚えのある街の中を歩いていきました

コンビニで今晩の疲れを癒すようなあまーーーーーーーーーーーーーーーーーい生クリームたっぷりのクレープを購入

はぁーーーーーーーーーー

うちのマンションだっ

ちゃーんと無傷だーー

うきっうきっ

階段を上がって、誰もいない部屋のドアに鍵を指してくるっとまわして。。。。
ただいまーーーーー(=⌒▽⌒=)


24:00ちょっとすぎ、無事、azami帰還でございますっ

靴を脱いで。。
電気を付けて。。。
お湯を沸かしてお茶を入れようと思っていると。。。。。
















部屋は散乱。。。
本は本棚から落ちてるし、机の引き出しは全開、大きな家具はなんか、場所移動してるし。。
オーディオは棚から転げ落ちて(無事っ
)るし、CDも散乱、小物もあちらこちらに飛んでるし。。。。何より、食器棚からコップやお皿がおちて粉々な感じでした

(。>0<。)
しかも、一番厳しかったのは、ガスが止まっていてお湯が出なかったこと。。
歩いてる間寒くて、早くあったかいお風呂に入りたいと思いながら帰ってきましたが。。
かなわず。。。
部屋の中をひとまずできるだけ片付けて。。
テレビで地震情報をみて、電子レンジでお湯を作って体を拭いて、大人しくその日は眠りにつきました

こんなに地震の影響を受けたのはあたしは生まれて初めてですが、こんなわたしの苦労なんて、苦労とは言えないほど、テレビでは悲惨な映像が流れてきます

恵まれたコトに、あたしはたいした苦労をしていないけど、やっぱりライフラインの大切さ、人の親切さや欲しいものがいつでも買えるという便利さ、普段当然のようにしている生活は当たり前のものではなくて、過去の人々が一生懸命作ってきたものなんだと改めて感じました

それが全て流され、残骸だけが残り、命まで奪われたとしたら。。
宮城、福島、岩手、その他被害のあったみなさまの心境、体の状態が心配でたまりません。
この地震の後、地元の両親、友達、東京の友達、知り合いの方々から多くのメールをいただきました

こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、この地震で私はたくさんのことを学びました

地震が起きてしまったら、何を警戒して、どんな方法で情報を得て、どんなツールで連絡を取るのか、どんな手段で移動をすべきか。
街がどんな行動をとるのかも、見た範囲ではわかりました

まず、ケータイは使えない。
連絡は公衆電話かインターネットメール(Yahoo!やHotmailは混雑していました)で、スカイプは一番つながりや酸かったということ。
情報が錯綜するため、出所の確かなラジオやテレビ、あとは知人からの情報を信じて、廻りの状況に流され過ぎないよう、自分で判断をすること。
交通機関は使えなくなるということ。
ライフラインが使えない時のための明かりや火の準備を前もってしておくこと。
・・・など。当たり前って、言う方もいらっしゃるかもしれませんが、やっぱり、情報の錯綜で回りに流されて間違った判断をしてしまうことが恐ろしいなぁというのは強く思いました

まだまだ東北の方では孤立している方、避難している方、連絡の取れない方、たくさんいらっしゃるようです

こんなわたしでもできることは。。なんなのか、スポーツ選手の皆さんが被災地に向けたメッセージを送って勇気づけているように、わたしにも何かできること、考えて、行動していきたいと思います

まだまだ余震、続いていますので、皆々様、まわりの状況をちゃんと把握をして、最善の判断ができますよう、お気をつけ下さい

一人でも多くの命が救われますように
願っています。