今の時勢、簡単に提言するのもなんだけれど自分には躁鬱の素質があると思うんだ。
別にそれがコンプレックスだと無関心に嘆く訳じゃないんだけどさ、実際大きく支障が出ているんだよね、自分が劇場型であることも相まって。
ただそれはそれで自分らしいと誇示できるようでもあるんだわな。
その点、他方に一番の問題は睡眠が不足している場合のことなんだ。なにもかもを悲観的に捉えるのならまだ救いがあるんだけどね自分にとって。
呻きたいことにブルーでなくグレーに近いんだな、つまり無感動になるんだ。
その上悲観的事実を客観視してしまうんで、本当にそれはもう非社会的の極みだ。
一番近い時のことで、グレーな視野で見咎めてしまったのは意識の連続性だった。
その時僕は確信していたんだ、意識は間断的かつ蠱惑的で、言ってしまえばそれのアルゴリズムはAIがセンテンスを出力する時のものと本質的に同じなんだって。
記憶、データ、いずれかを元にして思考、センテンスを出力する。ほら、同じだろ?
多くの人がこれを否定する時、人間にはAIと違って個人の価値観がある。人間が持つ記憶をそのままAIに投げても全く同じことを出力はできないって。
でもそれって実に曖昧模糊なことだよね。
だからこそ、俺は思ったんだよ、
人の価値観、言うに経験なんてものは
AIへの条件付けと同一だとさ。
アインシュタインだかが「価値観というのはその人が今までに積んだ偏見を言い換えたに過ぎない」って言ったよね。概ねあっているはずだ、有名だから。
であればAIへ指定された条件付け、言うならば思考のカセってのはまた言い換えるに偏見だよねと。
でもさ、結局こんな最もらしく筋立てで論を立てたところで、肝心なところが見えてないんだよね。
だってそうでしょ。大体、意識が連続していない全うな根拠なんてないんだから、発展的に考えていると装う割にめちゃくちゃなんだよね。
もちろん、意識が連続していないかもと問題提起するに十分な証拠が既に脳科学だかの分野で浮上しているのは知っているよ、ただ私が言いたいのは初歩の初歩の初歩、論の初め、頭頂部から見えていなかったことこそ一番に危惧すべきことってことだ、要するに思い込みってことだからね……もしかしたらそのまま淵に不調を扶持してくれと包丁掲げて、外に繰り出したかもってことだろさ。