無感動な人間は死ぬべきに思います。
そんな人間人間である必要がないじゃない、ネアンデルタールの人々だって同じことを言うと思うね。
人間の枠は限られてるんだぜ、人間に憧れ、首をつる動植物がどれだけいることか(ハエとり草ならあるいは……)
コンテンツに腐らされるんだな、ああ怖い怖い。嫌だね、自分にその気があるのがどうにも嫌だ。
大喜利。電卓みたいな人間、会計時に決まってもたついてしまう、一体なぜ?
アンサンブルA、自分の財布の中身を毎度開示し、口述してもらう必要があるから。
ちょっとインテリかな?複雑なことを単純に言い換えられる人こそ真に言語能力が高いと言うのだろうね。
悲しいもんだ、切に切に切々に。
アスペクト比のあった人生が羨ましい。あるいはフォーカスか、いずれにしてもプロジェクタへの期待が見えるね。
どうしても言葉遊びだ。
疾走的な人生をそれに即して言い換えるとしたら、50:100ってとこかな。まあどっちが縦横なのかは知らないんだけどね。
いずれにしても視点の問題だわ。
観点視点価値観。そんなのは無感動の
言い訳に過ぎない。
自分が絞首台に送られることを恐れてのことだ、嫌だね、ディストピアの頂点に立ちたいくらいだ。
本が読めない、どうせこうやって霧散する運命にある文言を刹那的に記録しているのが自分にあっているんだな。
別にこれは怖いとは思わないな。ある意味自分のアイデンティティみたいなものだもの。無感動を誇るやつにはわからないかな。意味深長に嫌だね……ごめん。