なんとなく、読み物を提供するのであれば記事を書き溜めなければと思っている節がある。のでふたつめです。即興で書いた。

エモエモの夜の話をしよう。

言葉にしてしまうと失われてしまう気もするから少しだけ。


わたしの怪我とそれに伴う入院の原因が、オーバードーズをした挙句当時の彼氏に縋り付き邪険にされ、自宅の屋根から飛び降りたことである、ということを知っている人は意外といる。多分。これを読んでるあなたが思ってるよりもいると思う。


言いふらすことでもないけど隠すことでもないとは思っていて、わたしという個人に向き合ってくれようとしている人には特に隠す必要はないと思ってるから聞かれれば結構話してる。

これに伴う偏見はもう仕方のないものだと思ってる。これを聞いて離れていくのであればそこまでで、そういう人はどっちにしろどこかでわたしとは決別するだろう。



どう隠したところでわたしはこういう人間だし、背中と足に手術痕はあるし、半袖は着れないし、鞄開ければ市販薬が箱ごと入ってるし、家に帰れば眠剤が待ってる。もうしょうがない。そういう女だ。開き直ってると言われればそれまでだけど。


前述した通り意外とこのことを知ってる友人はいて、今回話題にしたいのは、その友人たちの反応についてだったりする。


泣いてくれた友人もいたし、怒る友人もいたし、驚く友人も勿論いたんだけど、びっくりするくらいに無反応な友人が多かった。有難いことにね。わたしが普段から飛び降り自殺図りそうな女に見えていたのであればそれはそれで少し心外ではあるけど、本質はそうなのでバレいたのなら仕方ない。人を見る目があるよ君たちィ。


「どうして」とか「相談してよ」とか、わたしは言われたくなかったし、なんなら怒られるのもすごく嫌だった。だってあなたに相談したところであの時の悩みも苦しみも虚無感も絶対に解消されなかったもの。


こんな大人になりたかったわけじゃない、こうなりたかったわけじゃない。なのにどうしてかこうなってしまって、1番傍にいて欲しいと思っていた人に突き放されて、愛されていたはずなのにそれを素直に受け取れなくて、他にわたしを愛して必要としてくれる大事な人はいたのにそれにも気が付けなくて、どうしようもなく死んでしまいたかった。全部終わらせてしまいたかったんだよ。終わりたかった。

そもそもあの時手を差し伸べられたとして、その手を取れるのであれば飛び降りようなんて思わなかった。手を差し伸べて欲しいのならきっと縋っていた。

それでもそうしなかったのは、1番欲しかった人からのそれが貰えなかったからに他ならない。このことで暫く泣いたしどうにも動けなくて暫く立ち止まっていたりもした。


それでも、その友人の怒りが心配から来るものだと理解できない年齢ではないし、その心配もありがたく受け取って心の奥にしまっておいている。

怒るほど心配させてごめんな。お前にとってはわたしの存在って意外と大きかったんだな。ありがとうな。ビンタ普通に痛かったよ。咄嗟にやり返してごめんな。


そして「飛び降りたんだよね」「そっか」で受け入れてくれた友人たち、君たちは本当に素敵な人間だ。わたしに言われても嬉しくないだろうけど。

しかもみんながみんな、その後に「生きててよかった」って言ってくれてる。なんなんだお前ら泣かせに来るのやめろ。

シレッと話してるしシレッと受け流してる(つもりだ)けど、それは深刻に捉えて欲しくないからで、本当はどう思われるかドキドキしてるし、静かに「そっか」って受け入れて貰えた時正直もう泣きそうになってる。


何言いたいのか分からなくなってきたけど、あの夜のあの語らいはエモかった。後輩、自分を1度殺すのはいいが、マジで未遂図ると色々金かかるからな。(そうじゃない)



わたしの人生の物語はあそこで多分1度終わっている。それでよかったと思ってる。

こういうとそれこそ怒られそうだけど、飛び降りてなきゃまだ他人にデートDVかましてたかもしれないし、友人が差し伸べてくれる手に気が付いていなかったかもしれないし、サークルだって幽霊部員のままだったかもしれない。

そして両親の泣き顔なんて飛び降りなきゃ絶対に見ることがなかったし、友人が本気でわたしのことを心配してくれてるってことも飛び降りなきゃ絶対に分からなかった。

飛び降りてみて分かったことはたくさんあったよ。


すぐには変われないし変わっていないけど、「死にたい」とは思えど「もう飛び降りない」と思えているだけで成長かなと思う。

あと、ちょっとだけ世界に優しくなれたよ。