(NHKの日曜美術館やドガ展のサイトを参照し引用しています。)
ドガの傑作『エトワール』
ドガといえば、印象派の巨匠でバレエの作風に特徴がある。
僕が知っているのはこれくらいだった。
エドガー・ドガは1834年生まれである。
ドガの作品が、抜群の臨場感を持って、見る者に訴えかけてくるのはそのデッサン力によるらしい。画家を志したとき、巨匠のアングルに「とにかく線をひきなさい」と助言を受け、フランスとイタリアで何年もデッサンの修行に励みます。
代表作「エトワール」では、バレエのポーズが決まる少し前を的確にとらえることで、次の動作を自然に連想させるという工夫も編み出しています。
従来、絵画の主題として取り上げられなかったバレエダンサーたちを、ドガは巧みなデッサンでとらえ、次々と傑作を生み出しました。
「エトワール」では、ダンサーの背後に黒服に身を包んだ異様な雰囲気の男性が描き込まれています。
これは、当時のパリのバレエ界の現状を写実しています。当時、普仏戦争で国力が衰えたフランスでは、バレエは衰退しつつあり、ロシアにその繁栄は移っていました。
バレエダンサーの生活も困窮を極めていて、実際には、多くのダンサーがパトロンに囲われていたようです。パトロンは、政治家、会社社長、ジャーナリストなどがいて、彼らは二階の特別席から(このエトワールの視点はその位置からです!)踊り子を品定めし、アバンチュールの相手を探したといいます。
ドガは30代半ばから目の病気で、だんだんと太陽の光の中で、創作活動ができなくなります。同時に裕福だった銀行家の父が多額の借金を抱えて死亡、兄も自殺、自分は目が見えにくくなっていくという中で、毎夜、夜のパリを徘徊したそうです。
そんな中から、パリのオペラ座の年間指定席を購入し、通い続け、同じ印象派の人々(モネ、マネなど太陽の中での制作したが画家たち)とは、異なる作風を確立していきます。
また、目が見えにくいことで、直接タッチ感が分かるパステルを使用します。当時すでにパステルは1000種類以上あったそうで、今も工房が残っています。
83歳で亡くなった時に、友人は「どんな形で死ぬにせよ、あんな状態で生きていくよりはましだったろう」といわれて死んでしまします。
しかし、死後に、130を超える大量の彫刻作品が発見されます。目が衰弱したドガは、直接指で、踊り子たちをデッサンし続けたのかもしれません。
ドガが生前発表した唯一の彫刻作品「14歳の小さな踊り子」は、やせ細った体にうつろな顔をしている。論争になって、それ以来いっさい彫刻作品を発表しなかったドガ。
魅惑のドガ展は21年ぶりに横浜で開催されている。