【はじめに・・・】

◆昭和・平成に日本酒の神様と呼ばれ、今日の日本酒の礎を築いた先生方。

●野白金一

 明治36年国税局より、熊本県に鑑定官として赴任、以来熊本の酒質向上の為尽力する

 熊本県酒造研究所設立、大正8年国税局を退官、研究所所長に就任

 昭和27年に熊本酵母を発見、育菌

 昭和39年に89歳で他界、その後

 昭和43年 熊本酵母が協会9号酵母に認定され、全国に配布される

 

 熊本酵母の発見により吟醸酒の品質が飛躍的に発展し後に

 全国新酒鑑評会で入賞するには、YK35・「山田錦を35%に磨き熊本酵母で醸す」

 事が必須だとまで言われ全国で盛んに9号酵母が使用され現在に至っている。

●坂口謹一郎

 東京大学応用微生物研究所初代所長で、「応用微生物学」の世界的権威。

 発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人と言われ「酒の博士」として知られる

 当時の醸造学の分野を、応用微生物学、現在のバイォテクノロジー分野と広く導き

 発酵の研究を通して、日本酒の世界に類を見ない醸造方や日本酒の奥深さに付いて

 その見識と豊富な知識で数多くの日本酒に付いての書籍を残し「酒の博士」と異名を取った

 博士は世界的に数多くの功績を残し、その一つがチーズから珍しいバクテリアの発見で

 フランスの農学学士院外国会員に選ばれ、国内ではブドウ酒酵母(Oc2号)の発見により

 国産ワイン製造の道を開き、数えきれない程の賞を国内外から受賞している

 

 日本酒以外にも、調味料の大量生産技術や今日の発酵製品の

 発展の扉を開いた功績は大きい

 

●穂積忠彦

 坂口謹一郎博士の愛弟子であり、東京大学農芸化学科卒業後、国税庁醸造試験所をへて
 穂積技術事務所を設立し、醸造技術コンサルタントとして日本酒醸造の指導をしながら
 日本酒の普及活動に尽力し、酒類評論家として、酒類全般の評論活動を通して
 地方で良い日本酒を造りながらも、販売経路を持てなかった蔵元の大きな力となった
 また、雑誌社と協力しながら、通常流通の日本酒の利き酒を年一回秋に行い
 その評価を克明に雑誌上で掲載し、消費者は元より全国の酒販店、地酒を扱う飲食店の
 参考に大いに役立ち、全国の蔵元に於いては、全国的には無名だった蔵元の酒が
 一夜にして全国区になる事もしばしばあり、平成の初め、吟醸酒ブームを皮切りに
 純米酒ブーム、地酒ブームと大きなうねりになり、当時日本の全アルコール使用量の
 25%程まで日本酒が飲まれ、各メディャを通し社会現象にまでなった
 穂積先生の活動がその礎を築き日本酒の品質向上にも大いに貢献された
 
 ※平成の初め頃の地酒ブームの要因になったもう一つは
  漫画家・尾瀬あきら氏の 夏子の酒の連載があったのは言うまでもない。
 

●本郷信朗

 穂積忠彦氏の後輩にあたり

 国税局、東京醸造試験所の所長を退官後、酒造経営コンサルタンッを設立

 日本酒醸造の指導、普及活動に尽力をする

 昭和56年に日本吟醸酒協会が設立される、協会設立に尽力され

 また平成に入り、当吟醸酒協会が「利酒師」制度をスタートさせるにあたり尽力もされ

 その礎を築く

 昭和60年、長期熟成酒を目指す蔵元グループと共に長期貯蔵研究会を発足

 後に、長期熟成酒研究会に改名

 平成4年に全国の酒販店を中心に、長期熟成清酒勉強グループを結成し

 東洋大や東京農業大の元教授等を講師に迎え勉強会を重ね、ワインや紹興酒との熟成の

 比較や料理との相性など、その勉強会の内容は多岐に及び、また一般の消費者には

 東京と大阪で試飲会も開催し、長期熟成酒の普及にも力を注いだ

 現在の熟成酒・熟成古酒の広がりは本郷先生の尽力がなければ語れない。

 

 ※本郷先生他界後、長期熟成酒研究会は再編され現在に至る

 

 ※利酒師制度が始まったのち、関西で酒匠グループが発足し、
   東の利酒師、西の酒匠と2つのグループにより、日本酒に詳しい人材育成が始まり
   その後、利酒師・酒匠の2つのグループに加えソムリエが参加し
   統合再編され、現在の日本酒サービス研究会に至っている
 
 
 
 ■野白氏、坂口氏、穂積氏、本郷氏の先生方を知らぬ者は日本酒業界になく
  また、日本酒に詳しい酒販店、飲食店、日本酒愛好家も執筆された書籍は
  一度は目にしている筈である
 
  穂積先生、本郷先生と直接面識のある私にとって、昨今の日本酒の動きは
  感慨深いものである