四十九日が無事に終わりました。



父と弟の家族と私の家族。
それから母の兄弟たちと。



3歳の息子があーでもないこーでもないと騒がしく、私はその対応に追われてあまり母と向き合うという感じではなかった。



でも大きくぐずることもなく、よく付き合ってくれた。




読経のあいだ、母の遺影をずっと見つめていた。



実家の仏間で遺影や遺骨を見ていた時もなんだか不思議な気持ちで現実感なんてなかったけど、お寺の立派な本堂のなかの真正面に置かれた母の姿を見てもやっぱり現実味なくて、なんでお経読んでもらってるんだったっけって思うくらい違和感しかなかった。



母がもういないこと、それは確かに理解しているつもりだけど、心の中でまだ私は認めたくないという気持ちもあるんだろう。



それに、葬儀までは母の亡骸という紛れもない現実が目の前にあったけれど、今はお骨になってしまって、変な表現かもしれないけど母の不在の事実は記憶でしか証明されない。



単に遠くに旅に行っているとか。



異国の地に移住したとか。



はたまた入院しているとか。



そう思い込めればいいのにね。



でも記憶があるから、母が亡くなり、葬儀をして、火葬をして、納骨をしたと思い出してしまうのだけど。



お母さん、住職からの言葉、聞こえた?



人はいつかみんななくなります
形あるものはすべていつかは滅びます
でもその人を想うことで心は続いていきます




形あるもの、いつか壊れる、というのが
お母さんの口ぐせだったなぁ。



私がお皿とか割ってしまってへこんでいると、いつもそうやって慰めてくれたね。


そんなことも思い出した。
今さらだけど優しいお母さんだったな。




相変わらず母を想って泣かない日はない。



朝は準備で忙しく、日中は仕事、夜も保育園お迎えからの夕食お風呂とドタバタで、やっと寝かしつけが終わってから、一息ついて、母を思い出す。


でもどうしても涙は出てきてしまうし、当たり前だけど気分が落ち込んでしまうから、寝る前に哀しいこと考えると眠れなくなるからやめようと思って眠りにつく。


そんな毎日。



母がいなくなってから何の進歩もしてないようにも思えるけれど、とりあえず四十九日を終えてほっとしたのも事実。



お母さん、
みんなに見守られて
無事にお墓入れて、
お母さんもほっと一息つけたかな。



私もね、四十九日が近づくな、納骨だなってずっとカウントダウンしていたから、無事に終えられて少し安心したよ。


お父さんも、私たちも、辛い日々だったけれど、なんとか力を合わせて頑張っているよ。



だから心配しないで。
見守っていてね。



お母さん、だいすきだよ。