前回のブログアップから2~3か月経ってしまいました。
前回が8月1日で、石山寺(いしやまでら)、白髭神社(しらひげじんじゃ)はその翌日の8月2日の旅行のことなんですけど、かなり前のことなので自分でも写真をみて思い出しながら文章を書くことになります(笑)
さて今回の余談ですが前回から今回のアップまで間隔が開いたのにはちょっとした訳があります。
私は母、兄との三人暮らしですが、昨年末に人工透析をしている兄が自力で動けなくなり
救急車で運ばれ入院し、1月に退院しましたが介護度4の被介護者となりました。
そのため家の中を大急ぎで片付け、兄が床ずれしないように介護ベッドを入れ、毎日ヘルパーさんに来ていただくこととなりました。
週に1~2回は訪問介護士の方にも来ていただくこととなりました。
ありがたいことなのですが、常に家の中に他人がいることは慣れないと疲れます。
昨年の10月まで自分で車を運転し、仕事に行っていた83歳の母はヘルパーさん達があれこれしている時に食事はできないと食事を抜くことが増えました。
母は昨年仕事を辞める頃、歩くのがしんどいと言っていましたが仕事を辞めれば楽になり元気になるだろうと思っていました。
ところが兄の退院後から母の体調はさらに悪くなり、数歩歩くだけで息が切れると言い出し、家の中を四つん這いで移動するようになりました。
私が病院に行かなきゃダメだと言っても兄が大変な時だけに「私は大丈夫だから!」と怒り出すだけでした。
1月末の午後2時にヘルパーさん達が帰るまで何も食べていなかった私と母は、何か外に食べに行こうということになり、私はふと「回転寿司に行こう」と言ってしまいました。
実は兄が入院して以来、兄の病院の帰りに回転寿司で食事を済ませることが多くなっていて、その2日前に行った時に”次は回転寿司以外のところに行こう”と私は心に決めていたんです。
まぁいいや、車に乗ってから回転寿司以外の他の食べ物屋を決めようと車を走らせました。
ところが運転していると何も他の食べ物屋が浮かんでこないんです!
”不思議だな~、俺もそうとう疲れてるなぁ~”と思っているうちに回転寿司に着いてしまいました。
しょうがなく中に入り席に座ると母が座ったまま誰かにニコニコと挨拶をしていました。
相手は母の知り合いの、かつて私立病院の看護師長をされていた方でした。
母がその方に今の母の体調のことを話すと「循環器内科で診てもらわなきゃだめだよ」と言われ
母はニコニコして「うん、そうする」と答えました。
私がいくら病院に行くように言っても「私は大丈夫だから!」と怒っていたくせに......。
開いた口が塞がりません(笑)
でもチャンス!と思った私は「保険証を持っていないからまた今度」という母に保険証は俺が今、取ってくるからと言い、母を循環器内科医院に置いて、その後保険証を届け、診察が終わったら電話してと言い残し家でくつろいでいました。
母から電話が入りました。
なんか電話の周りが騒がしいなと思いながら母に「終わった?」と聞くと
「看護師さんに代わるね」と言います。
ん?
「看護師の~です。お母様は心不全で、ただちに治療が必要です。今から救急車で私立病院に搬送いたします。息子さんも直ぐに向ってください。」
.........?
救急外来で医師に「肺に水が物凄く溜まっています。何でこんなになるまで放っておいたんですか?」
と怒られました。
「直ちに入院してください」と言った医師に母が
「ちょっと忙しいんでまた来ます」と言いました。
医師が”なんだこの親子は!?”という顔で私を睨みます。
あぁ~ 胃が痛い!
この空気!
あぁ~っつ!
何とか母を説得し入院にこぎつけました (笑)
これが1月29日のことでした。
そして2月4日に医師に呼ばれ「だいぶ良くなったので通院で治療していきましょう!」
と言われました。
”いや~思ったより早く良くなったな”と思っていると9日にカテーテルの検査をしますと言うのでそれなら9日まで入院させてくださいということになり、母も”トイレまで歩いても苦しくない”と大喜びでした。!
翌2月5日の朝、私が会社に着くとすぐ私の携帯が鳴りました。
虫の知らせとでもいうのでしょうか?
何故か私は電話にでるのに物凄くあせり、手が震えました!
「私立病院です。 お母様が今朝、脳梗塞を発症しました。直ぐにこちらに来てください!」
頭の中が真っ白になりました。
脳外科の医師から「時間との闘いです。直ぐに血栓を溶かす薬を投与します!強い薬なので血管が破裂しこのままお亡くなりになることも50%の確率であります。 お母様に声をかけてあげて下さい!」
と言われ母を見るとベッドから頭を少しだけ上げ、こちらに手を伸ばし何かを言おうとしています。でも声は出ません。
私は涙をこらえ母にうなずくのが精一杯で声をかけられませんでした。
数秒そうしてると医師が「いいですか?」と私に聞き、私は声を出せずにうなずくと医師の
「はい!」という掛け声でベッドに乗った母を数名の看護師が急ぎ足で運んでいきました。
一人残った私は病室の窓に向い声を押し殺して泣きました。
恥ずかしいですが暫く涙が止まりませんでした。
母は右手、右足の麻痺、失語症が出ましたが、お陰様で一命を取り留めました。
仕事が終わると母の病院に行き、夕食を食べさせ、母の洗濯物を持ち帰り、風呂に入っている間に洗濯し、風呂から上がって部屋干しし、自分が夕食を食べるのは21:30~22:30頃です。週三日、朝6:50時に迎えにくる人工透析の病院の送迎車に兄を乗せるため、兄を起こし、ヘルパーさんが昨夜作ってくださった食事を温め、食べさせ、薬を飲まし、車椅子を人工透析の車まで押し仕事に行く毎日となりました。
これはなかなか大変なものです。
疲労が積み重なり母が入院した後、2週間位は会社の朝礼の時、立っているのがやっとでした。
今、母は私立病院からリハビリの病院に転院しリハビリに励んでいます。
右手も無意識ではありますが動くようになり、最近ほんのちょっとですけど意図して動かそうとしだしました!
脳にダメージを受けているため、自分の名前も言えなかったのが言えるようになりました。
読めなくなっていた時計も10回に1回位読めるようになりました。
ただ続く入院生活で認知症が出て訳のわからないことを言うことがあります。
これは私にとって本当にショックです!
応えます。
どっと疲れがでます。
でも仕事が終わると母の病院に急ぎます。
ベッドの上で上手く言葉がしゃべれず体が動かせない母を見ると、まるで赤ん坊のようで愛おしくてたまりません!
少々疲れていても母を見ると力が湧きます。
今の自分が幸せだと感じることができるんです。
去年の11月の神在月に母と出雲大社を参拝し”生弓生矢”(いくゆみいくや)を買って玄関の下駄箱の上に置いてあるのを思い出しました。

(生弓生矢は根の国を訪れた大国主大神が様々な試練に打ち勝ち、スサノオより授かった御神宝と言われています)
今、私は試練を受けさせてもらっているのかもしれませんね!
そして今の母が正に私のパワースポットです!
”石山寺(いしやまでら)、白髭神社(しらひげじんじゃ)に行って来ました。”
はまたいつか時間と体力のある時に書きます。