わたしの好みのタイプは、
子どもの先頭に立って、指導していくタイプの先生よりも、
子どもの後ろに居て、見守っていくタイプの先生。

とは言え、わたしのタイプとは違う先生が居なくなってほしいというわけではなくて、むしろ、わたしにはもうそれが出来ないから、自分に出来ないことをやってくれる人が、そうやって居たっていいわけで。むしろわたしの苦手分野をやってくれてありがとう、なわけで。

ただ、そういう指導タイプの先生が、見守っていくタイプの先生をダメな奴扱いするのは、批判するのは、
その指導系の先生は、本当は自分に嘘ついてるからだ。頑張って指導しようとしてるからだ。

だったらもう頑張らなきゃいいのに。
でもそういう人は頑張りたいんだもんね。
で、頑張ってる自分を肯定したいから、反対に居る人を批判するのよね。自分の存在を確立するために。まぁそれは、どちらにも言えることなのだけれど。。

そんなコントに、付き合わなくてもいいわけで。
あー、言ってんなー。
言いたいんだもんね。
こちらもやりたいようにやらせていただくよ。

そう。
言われたからって
縮こまらなくてよくて、
卑屈にならなくてよくて、
言わせとかなくてもよくて、
被害者にならなくてもよくて、
弱者にならなくてもよくて、

まして
合わせようとなんて思わなくてよくて、
間違ってたなんて思わなくてよくて、
従おうとなんてしなくてよくて、
和を乱さないようになんて思わなくていい。

わたしのチャレンジ、、、チームと言う輪を壊す。
いやまてよ。
園長先生に敵意はないから、、
たとえチームの輪を壊したとしても、自分を表現することを恐れない。
これが本質か。
壊したいわけではない。
むしろ本当は平和を望んで居るのですよ…
お互いがお互いの得意なことを認め合って仕事していければ、お互いの苦手なことも尊重し合って仕事ができれば、それに越した事はない。

でも、そうではない場合に…

もうそのために自分を隠さなくていい。
閉じ込めておかなくていい。
どんな小さなことでも、自分を表現して生きなければ、何をしても意味がないよ。

チャレンジをしていく覚悟。