最近の歌の歌詞がその辺に転がってるごくありふれたことば、口にはとてもおいしいことばで綴られていることが多いと感じていました。
(NHKでもそういう特集してました。)
大丈夫とか、そばにいるよとか、明日に向かおうとか。
そういう言葉を使うのが多くて、
自分はなんというか、肌の表面をながれていくような、
気持ち悪いと思うことも、
不思議におもうことも、
なんでやねんって思うこともありました。
阿川佐和子さんも同じようなことを思っていたらしくて、昨日、ほぼ日の企画(絵本の発売記念でUstreamで対談が生配信されていました。)で糸井さんと谷川さんにそれがなぜなのか聞いていました。
ひとりは詩人として、
ひとりはコピーライター、その後はなんやかんやとして
「ことば」と長年向き合ってきた二人の回答は一致していました。
(以下はもちろんその話を聞いた自分なりの解釈です)
ありふれたことばでつづられていたとしても、「とてもいい。」と感じるものがある。
それはむしろ難しいことばや、少しひねったものよりも断然にいいことがある
(もちろん難しいものを否定しているわけではない)。
てことです。
イメージとしては、
難しいことばで「いいもの」をかくより、
かんたんなことばで「いいもの」をかくほうが何倍も難しい。
(だけど、ことばはかんたんゆえに、たくさん挑戦する人がいるが、ふたりに「いい」と思われるようなものは多くはない(と思う)。)
そんな「いいもの」を生むには、
それなりに訓練する(例えば難しい文章をたくさん書く)とか、
経験を積まないといけないというか、
そういうことをかける背景がないとむずかしい(中島みゆきってすごいと思う…神?)。
今はそういうのをすっ飛ばしてただかんたんなことばでつづろうとする人が多いから、
それらを「薄っぺらい」と印象をもってしまう人がいる。
谷川さんのも糸井さんのも基本的にはとてもかんたんなことばでつづられています(くうねるあそぶとか。)。
かんたんなことばでつづられた彼らの詩や歌と、
なにか「薄っぺらい」と感じる詩や歌の違いはそういうただところにあるのではないか。
もっと、なにか、何でもいい「コク」みたいなものがあればいいんではないか…
そう思います。
ただし、
なにかを「おくる側」の話があれば「うける側」の話もあるはずで。
詩だろうが歌だろうがそれを
どう受け止めて、
どう感じるか、
というのは、うける側にすべて任せられています。
そうすると、
おそらく相対的に「薄っぺらい」と思われるものであっても、うける側にとっては、心揺れ動かすものもあるかもしれない。
ということです。
さあ、ワタクシお得意の「どっちもいい」が出てきましたが、
今流行る「かんたんなことばで綴られたポエム」を好きな人は好きで良いと思いますが、
「難しいことばで、むずかしく、ひねられたらポエム」
(例えば、昭和の別れ唄とか?)
も、
難しいことばの読み方、感じ方一つでいろんな考え方をできることは、
「かんたんなことばのポエム」
と変わりはないし、
「かんたんなことばで綴られているけれど、かんたんではないポエム」
(谷川さんや、糸井さんの本!)
なんて、読んだら読んだで楽しいと思いませんか!
ちなみに谷川さんは、
どんな詩でもその中にたった二行でも「いいもの」があると誉めたくなるともおっしゃってました。
読んで下さってありがとうございます。
長くなったので、終わります。
推敲していたので、更新遅いのだ!
デュワ!
うにの化石。
