論語の奴隷から脱出させない見えない分制度

今回は奴隷についてです。

奴隷というと、今の日本にはいないよと思う方もいると思います。

しかし問題なのは、士農工商があった時代には自分が奴隷として生まれたら一生解放されず、子供も奴隷。
そういう制度があるから仕方ないと思っている考え方が、士農工商がなくなった今も続いている事です。

奴隷ではないが思考が奴隷の人は、奴隷と一緒です。

本書の中でも苫米地英人氏が語っていますが、

「社長なんて高望みをせずに、堅実に生きなさい」
「プロ野球選手なんて夢のまた夢だから、地道に生きなさい」

こんな台詞を聞いて、そうだなと思った事がある人や、こんな台詞を口にした事がある人はヒントになればと思います。

ぎたるは猶及ばざるがごとし

過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとしとは聞いた事がある方もいるかと思います。

この文章は孔子の弟子二人の出来について他の弟子が質問した時の解答です。

なお、普通の解釈ではやりすぎる事は良くないとか蛇足の意味で使われます。

しかし、この場面では学問の進行度についての質問です。

孔子は、

「一人はまだまだだが、もう一人はとても頭がいい」
「しかし、頭がいい事も良くない」

と言っているという事です。

つまり普通の学力でいろと言っています。

そして、論語は国のお墨付きです。

つまり愚民政策を推し進めようとしているわけです。

カイジでのEカードも平民は皇帝に勝てず、失うもののない奴隷のみが皇帝に勝てますが、今は1億総平民状態です。

ぜひ一度洗脳論語を手にとって思考は身分制度から解放されてみてはいかがでしょうか。