洗脳のためのテクニックが潜む論語の文章
苫米地英人氏によると論語の文章はカルト宗教で使われる、洗脳のためのテクニックは散りばめられていると言います。
論語は「支配と被支配」を作り、「奴隷」を作り、「差別」を作ります。
ぜひ今回のレビューも読み、これからどんな情報に触れても真意を探れるようになってもらえたらと思います。
論語の中には文章を2行並べて書いている部分があります。
例えば日本語訳で、
「どれだけたくさん学んで知識を得ても、その内容についてよく考えなければ、活かすことはできない」
「また、ただ考えるだけで何も学ばず、知識がなければ、何の役にも立たない」
先の文章はスッと納得出来る内容かと思います。
そして後半の文章も納得出来る内容となっていますが、孔子は詩経という詩集を知識と言っていました。
詩経は古代人の日常が描かれている詩集で、自分も一度読んだ事がありますが、祭祀に関わる記述など今と生活様式が全然違うんだなという感想でした。
苫米地英人氏は詩経は、古代のTwitterというべきつぶやきの集まりと言います。
「我が家にはやんちゃな女の子がいる」
「収入が少なくて生活が大変」
などが書かれているだけとの事。
目上を大切にする→古代の人の話をありがたがって聞くという儒教の基本理念に従って詩経をブランディングしたのではないかと苫米地英人氏は言います。
孔子が薦める詩経がTwitterならそこから学ぶ事と言えば?
苫米地英人氏は洗脳論語を読む際は、出来るだけ先入観を捨てて欲しいと言います。
しかし、綿々とした長い時間をかけて日本の教育に入り込んだ論語を取り外すのは容易ではありません。
しかし論語の中で一生をかけて学べと孔子がおすすめする詩経はTwitterなんだと考えると、大したものではないような気がします。
Twitterを見ても深田えいみの大喜利などがあり、それを勉強し将来のために役立てようとしても、深田えいみがどんな解答が好きなのかくらいしかわかりません(笑)
またリツイートの数だけどん兵衛に七味をかけるとツイートし、6.2万リツイートがあり本当に七味をぶっかけるなんて、とても律儀だなと思う事くらいしか学ぶ事はありません。
解釈によって本の内容という事実は価値を持ったり、価値が無くなったりします。
そしてその解釈次第では支配者による奴隷の生産に繋がります。
自分は洗脳をすでにされているのか?果たして違うのか?気になった方は書店で手に取ってみてはいかがでしょうか。