2番手でいたい、雇用されていたいと思うのは論語が原因かもしれない

自分は2番手でいたい、部活だったら副部長、サポート役が向いていると思っている人は世の中多いと思います。

しかし、その考え方も論語に洗脳されていると言えるかもしれません。

・仕事で普段愚痴を言いたくなるけど2番手でいよう

・雇用されていようと反射的に思ってしまう

こんな方はぜひ今回のレビューをヒントにしてもらえればと思います。

2番手でいたいと思う原因がなぜ論語にあるというのかというと、親を大切にするという考え方が根本にあるからです。

親を大切にする事はもちろん大切なことですが、それを拡大解釈し続けると苫米地英人氏の言う洗脳の領域になってしまうという事です。

親を大切にする事は目上の人を大切にするという事で、自分の君主を大切にする=反乱を起こさないという考え方につながります。

ちなみにこの考え方は性善説で有名な孟子が革命思想を唱えるまで続きます。

儒教は人を君子(支配者)と小人(被支配者)に分けます。

君子は人格者のような解釈を日本ではされていますが、国主を指す言葉です。

国主としては反乱を起こさない奴隷として使役出来る労働力を獲得する教えは好都合です。

だから2番手でいたい、雇用されていたいと思うなら論語の影響を知らず知らずのうちに強く受けているのかもしれません。

孔子は成功しなかったが上手く用された?

国主の考えを代弁している儒教ですが、孔子自体は歴史上で活躍したかというとそうでもありませんでした

孔子は仕官先を度々変え、その国の有力者や賢人に仕官の道を閉ざされていました。

儒教が最初に取り上げられたのは漢の時代の皇帝に採用されたからで、それまでは焚書坑儒(書物は焼かれ、儒者は穴埋めで処刑される)されるほど弾圧されていました。

それもそのはずで、周という盟主国がある時代に従属国に仕官をしようとしていたからです。

従属国からしたら成り上がりたいわけで、盟主を大切にしようと唱える孔子は目の上のタンコブです。

焚書坑儒も周の支配の時代から、漫画『キングダム』の秦の時代に移ろうとしている時に起きました。

なので時代が定まり統一国家が誕生すると、新しい国主は国を安定させるために好都合な考え方の儒教を国教にすえて統治するという流れがあります。

漢の初代皇帝の劉邦は革命を起こすまでは儒者を嫌っていましたが、中国統一した後は儒者を重用しました。

そして儒教は科挙という日本の受験につながる制度を作ります。

また、苫米地英人氏は田舎などで言われる「長男の嫁」という言葉も家族に序列をつける言葉と指摘します。

たしかに長男と次男以降の序列を作り、女は男の所有物のような序列を表した言葉です。

このように日本には論語の影響が少なからず浸透され、気づかない所から影響を受けています。

また孔子が生きていた時代からだいぶ時間を置いて儒教は注目されました。

孔子が言いたかった事も本当は全然違う事かもしれません。

次回以降も論語が日本にどう影響を与えているのか具体的に読み進めていきます。