筆者の苫米地英人氏は脱洗脳のスペシャリスト
今回から新しい本のレビューをします。
その新しい本は『洗脳論語』といいます。
この本は、あのオ○ム真理教の信者を脱洗脳させた事でも有名な、認知科学者の苫米地英人氏が書きました。
苫米地英人氏は論語を差別を助長するための本だと指摘します。
論語は支配階級の人間が、都合のいい奴隷を量産するために利用されたと苫米地英人氏は言います。
いきなりぶっとんでますよね。
しかし、なぜ苫米地英人氏がそう言うのか順を追って解説します。
まず、本書冒頭で「先生」という呼称について言及しています。
先生とは本来、先に生まれた人という意味のみの言葉だったはずなのに、今では先生=偉いという意味もセットでついています
そして論語は、孔子の儒教の教えを後々弟子達が著したものですが、年長を敬うという考え方が根本にあります
年長である事=偉いという象徴を先生という言葉に込めて、小さい頃から何度も呼ばせる事で刷り込んでいるという事です。
しかし香水というとドルチェ&ガッバーナが頭に浮かぶのと同様に、先生と呼ばれる立場に今いる方は、先生と呼ばれないと違和感を覚える方もいると思います。
しかしそれは洗脳が進んでいる証かもしれません。
読んで後悔した!このまま奴隷でいたかった
そして論語は努力をして一生懸命生きる事を推奨します。
これはいいのですが、一生懸命仕事をしても目立たないようにしろと言います。
一生懸命頑張って報われなかったとしてもそれを気にも止めないのが素敵な人格者だと書いてあるのですが、これを会社の上司に言われたら抵抗を感じると思います。
頑張っても報酬を与えない口実のように感じるでしょう。
つまり支配階級が支配しやすいように、儒教を使って国民を統治していた というわけです。
確かに報われなくてもそれを気にしないというのは大人だなぁと思う対応ですが、
「別に君を求めてないけど、横にいられると思い出す」とか
「別に君をまた好きになることなんてありえないけど」と言いながら
ドルチェ&ガッバーナの香水のせいにするくらい素直ではない反応と言えます。
またこの本を読むことで、どれだけ自分の周りに洗脳装置が多いかがわかり、読了後は支配階級の都合のいい奴隷のままでいた方が楽だったと思ってしまう人もいたりするようです。
他にも現実世界に抵抗を持ってしまうために、生きる意味を失ってしまうという人も。
しかし支配や洗脳から解放され、本当の意味での自由を感じられるようになったという人もいるとか。
これから数回に分けてレビューをしていきますので、よろしくお願いします。