人とのがりを大事にする


現状を把握したら戦略立案をして実行するというフェーズに移ります。

そこで一番大事な事は人を動かすという事です。


人間関係が希薄な都会とは違い、村ではみんなで助け合う相互扶助をしていく事が当たり前でそれがとても良い文化です。


しかし、反対に言うとよそ者をはじいてしまう。

そこで高野さんは都会の住民と村の住民の交流ができる機会を作ります。


年収87万円を却する


農業では食っていけないということが、地方から人が離れる一番の理由でした。


しかし高野さんはこれも解決していきます。


今まではJAにまかせていた流通・販売・管理を直売所を作るという方針に切り替えます。


それまでは豊作なら他もたくさんできてるからと安く買い叩かれてしまう競馬のオッズのようになってしまっているからです。


高野さんは全国の上手く行っている農家を見学に神子原の農家の方も連れていき、直接話してもらって農家でも儲かるという事を実感してもらいました。


予算の60万円のうちの53万円はこの時の借りたバス代に消えたという事で、言わば知識に全て投資をしそれを回収しました。


そして少しずつ直売ができてきました。


帽子親農家制度と援農合宿


烏帽子親農家制度は「よぼしおやのうかせいど」と呼びます。

「えぼし」ではありません。


これは古く、平安時代からあった制度のようで仮の親子となる風習です。


これを復活する事で神子原は都会の若い人と村の交流を深めようとしましたがこの人の繋がりが大きな成功をおさめます。


高野さんは烏帽子親農家制度でお酒が飲める女子大生をあえて募集します。


話題になるように。

狙いがありました。


そして人選も良く、村の人もすんなり都会の人間を受け入れてくれるようになりました。


そしてこの女子大生のゼミの先生が話を聞き、「援農合宿」を依頼してきます。


援農合宿は20人ほどの学生が泊まり込みで農家を手伝う合宿です。


高野さんの狙い通り農家と都会の若い人の交流が深まってきました。


棚田を利用したひな


烏帽子親農家制度で来た女子大生は高野さんにとって女神でした。


棚田を利用してひな祭りをするというアイディアを出してきます。


現在では神子原の風物詩となっているようで初年度は1500人の来場があったそうです。


そしてJAを頼らず直売するため農家カフェを開き、JAなら数十円にしかならないかぼちゃがかぼちゃプリンやかぼちゃまんじゅう、シフォンケーキなどで1万円ちょっとの儲けになります。


こうして改革が進んでいくのでした。


(続く)