真央ちゃんが、日本人に与えてくれた、夢と希望を忘れません。
これからも、応援してるよ。
今は、どんな言葉をかけても心には届かないかもしれないくらい
悲しみの淵に沈んでいても、持ち前の強さで、きっと乗り越えてくれると思う。
真央ちゃんが、これからもスケートで輝き続けてくれることを、
お母さんも、きっと天国から見守ってくれてる。
急がなくてもいいから、
心の整理がついたら、
また氷上に戻ってきてね。
あの場所が、真央ちゃんには一番似合ってるし、
お母さんが支えてくれた、夢の場所でもあるから。。。。。。
最愛の母へ贈った手紙「早く良くなって。真央はスケートを頑張る
フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(21=中京大)の母・匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が発表した。48歳だった。浅田は出場予定だったGPファイナルを欠場し、開催地のカナダからこの日夕方に緊急帰国したが、最愛の母の最期をみとることはできなかった。
スケートに打ち込む浅田を全力で支え続けた匡子さん。浅田は小学2年の時、匡子さんが体調を崩して入院すると手紙を渡した。「早く良くなってね。真央はスケートを頑張るから」――。その手紙はずっと、匡子さんの宝物だった。
銀メダルを獲得した10年バンクーバー五輪では「誰にメダルを見せたいか」と問われると「お母さんです」と即答。それでも金メダルを逃し、泣き続けていた浅田には「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていては駄目」と諭した。
浅田にとって、匡子さんは唯一無二の大切な存在だ。小さな頃からスケート一色の自分を、全力でサポートしてくれた。体調を崩すまでは、毎日のようにスケート場へ車で送迎。練習環境に恵まれなかった時は、各地のリンクを5カ所も転々とし、移動の間に仮眠できるように車内には布団を積んだ。そんな支えを受け、浅田は常に恩返しの思いを込めて滑っていた。
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真央ちゃんのお母様の闘病、全く知りませんでした。
突然の悲報に、ただただ驚くばかりです。
オリンピック前後から、なぜか日本での、マスコミの真央ちゃん下げが始まり、
(特にあの、フジTVは酷かったですね)
本来ならば、女子の中でも最高の点数がつくはずのトリプルアクセルは、
ことごとく回転不足になり、成功しても納得のいく評価ではありませんでしたね。
ライバルのキム・ヨナの方と言えば、
失敗しても、ころんでも、点数が真央ちゃんよりも上という、
超怪奇現象がおこり、オリンピックの金メダルをもぎ取りました。
韓国でのお笑い番組に出演した日本の芸人が、
真央ちゃんを真似て、ひどい芸を披露し、それを見た韓国人は大笑いしていました。
全く、信じられないバッシングです。
きっと、お母さんも心を痛めていたと思われます。
真央ちゃんの底抜けに明るい笑顔に、どれだけ癒された人がいるか。
転んでも立ち上がり、どんな逆境の中でも諦めずに頑張ってる。
真央ちゃんがいたから、真央ちゃんを見たいから、
初めてフィギアの大会を見に行きました。
初めて見たその真央ちゃんの演技に、本当に涙があふれるくらい感動しました。
やっぱり他の人とは違うんですよ。
お母さんもずっとそんな真央ちゃんを見ていたかったでしょう。
残念で仕方ありません。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
選手たちも浅田への思い胸に…涙のコストナー「言葉がない」
フィギュアスケートの浅田真央(中京大)が母親、匡子さんの急死で欠場したグランプリ(GP)ファイナルが9日、カナダのケベックで開幕し、選手たちが口々に哀悼の意を表した。
浅田と同じ愛知県出身の鈴木明子(邦和スポーツランド)は女子ショートプログラムの演技後、「彼女はここで滑りたかったはず。代わりに滑ることはできないが、今の自分の役割は滑ること」と目を涙で潤ませ、声を震わせた。
昨季の世界選手権でも浅田と競ったイタリアのカロリナ・コストナーは「言葉がない」と涙を流し、ロシアの14歳、エリザベータ・トゥクタミシェワ選手も「とても残念。立ち直り、力強くカムバックしてくれることを願っている」と話した。(共同)

