京都洛北の山寺は
朝から蝉の声が聞こえてます
昨日の夕方は、盂蘭盆精霊送り回向法要を行いました
の後で、お檀家さんの若奥様さまと本堂で夕食をしながらお話をしました
そこで感じたことは
本当に 今、何を 自分が意識しているかが大切なのだなぁ~ と言うことです
外側の現実世界に降り回れてはいませか…
誰かの世界のストーリーに、はまりすぎていませんか
旦那が…
お義母さんが…
お義父さんが…
の世界に振り回されて
自分の世界を生きていないので、疲れて、ストレス貯めて、爆発寸前…
爆発して 罵倒して…
そんな自分を嫌になり、自分責めて
我慢する
そんな人生のストーリーが好きな人もいるから
それな人は、それでもいいかと想いますが…
そんな人は、このブログを読む必要もないし
読んでいないと思いますが…
私も昔は、同じだったかも知れませんね
まだ結婚はしていないので少し違いますが
仏教の世界とは…
我慢が、修行みたいな所があるから
頑張って、耐えて、我慢すれば…
何かいいことあるのかなぁ~
報われるのかなぁ~
徳ご積めるのかなぁ~
なんて、どこかで信じていたように思う
信じてようとしていたと思う
でも 、ある時 気がついたのです
それって、
自分を大切にしてきないし
自分を追い込み責めている…てね
だから、我慢して一生懸命やれば、やるほど
外側の現実世界では、きついこと言われたり
理不尽に、攻められることを言われてり
報われないことが多かったように思う
しかも 、言われれば、言われるほどに
それがあたりまえになってしまい
感覚も麻痺してしまう
そんなことを繰返してきたようにも想う
でも、ある時
自分が外側の世界の現象の重みに耐えられなくて、我慢できなくて、限界でパンクしてしまってダウンしてしまった事がある
そんな自分を、情けないとか、出来ない自分だと…また更に責めて落ち行き
どうすればいいのか…
本当に仏さまは在るのか…
祈りは効くのか…
と自問自答していた時期もあった
師僧には、
おまえは、信がない…
もっと拝まなければあかん…
とよく言われてました
拝んでも、拝んでも… 何も変わらず
同じ所をグルグル回っていたように想います
では どうしたか…
自分の意識の在り方を変えただけなのですよ
自分を大切に愛そう…と
自分に優しく、責めないいで
好きなことをしただけなんですよ
祈りは…
心が安心した時
自分を大切に出来ている時
自分が好きなことをしている時…
の方が、ちゃんと通じているように想います
それを確信した時から
自分に優しく大切にするように意識しています
ただそれだけで…
外側の現実世界が変わるから
そんな 話しになりました
そんな お盆最終日の夜でした