キャンパスで参加費無料ピクニックのビラをもらって・・ | it' my america

キャンパスで参加費無料ピクニックのビラをもらって・・

 数日空いてしまったので、その分長くしたわけでもありませんが・・。

 ある日、シーサン(カリフォルニア州立大学ノースリッジ校の愛称)のキャンパス内を歩いていたら1枚のビラを手渡された。
「日本人の方ですか。明日よかったらピクニックに行きませんか? 参加費は無料です」
 嬉しいことに、ビラ配りをしている女性が日本語で話しかけてくるではないか。居候という立場上暇はいくらでもあるし、無料ならと心が動いた。
 念のため、
「ここの学生ではなく観光客なんですが、それでも良ければ参加させてもらいます」
 と答えると、「OK」だという。彼女の名前は、かおりさんと知れた。
 集合時間を聞いて別れた後、それにしても大学で参加費無料のピクニックがあるなんて変だなと思いつつ、翌日T君と連れ立って待ち合わせ場所に向かった。大型バスの前に、かおりさんを取り巻くように、学生たちが三々五々集まっていた。その大半は日本人だが、白人の若者もちらほら混ざっている。
 バスに乗り出発前にまずしたことが、いかにもアメリカ的で印象に残っている。それは、配られた紙にサインすること。その紙には、
「このピクニックに参加したのは自分の意志であり、強制的に勧誘されたわけではありません。よって万一ピクニック中に事故が起きても、主催者を訴えることはしません」
 というようなことが書かれてあるという。
 その承諾書にサインしなければ、バスは出発しない。したくない人は、バスから降ろされてしまう。事故が念頭にない以上に、その上での訴訟なんて思いもしなかっただけに、アメリカは州が合わさった法律の国であることを、改めて認識したものだ。
 さらにピクニックに参加した日本人学生との会話も、別な意味で耳に残っている。シーサンのドミトリーに寄宿していている彼女は、
「日本人が行きそうなロスのスポットは、すべて回ってしまい退屈していたから・・」
 と、このイベントに参加した動機を説明する。
「ディズニー・ランドにもハリウッドにも、ガイドブックに載っている所はみんな行っちゃったから、もう行くとこがなくて・・。車は持ってないし、寮からでるチャンスがあれば、興味がなくてもとりあえず参加することにしているの」
 彼女にしてみれば、ガイドブックに載っている場所だけがロサンゼルスの全てであり、あらかじめ本で読んで知っている所を、自分の眼で確認する作業だけが観光のようなのだ。現地にきてみて、新たに知った場所へ行こうという好奇心が、微塵もない感性の寂しさを感じ、内心呆れながら留学体験が無駄にならないことを願った。

 バスが走り出すと、南カリフォルニアに棲息する鳥類と植物が書かれた手作りのチラシ7枚が、全員に配られた。しかも親切なことに、鳥(31羽)や草花(22種類)の絵が描いてあるだけでなく、英語のほかに日本語の解説付きという丁寧さが嬉しい力作である。

  ジェイ(JAY)はかけす、ガル(GULL)はカモメ、そしてロビンフッドのROBINは、ヨーロッパではこまどり、アメリカではつぐみになることを初めて知った。そんなチラシの一部を紹介してみよう。

モッキンバード:美しく歌う鳥。羽を広げた姿が印象的。キャンパスのフィールド、木が繁っている所でよく見

          かける。
スクラブジェイ:頭から背、尾にかけてブルー。喉から腹にかけては白(薄いグレー)。背中の一部分はグレ

          ー。カリフォルニア・ジェイとも呼ばれる。
ポイズンオーク:樫の木の根元付近に成育する毒を持った草。皮膚などに触れるとかぶれたり、異常なか

          ゆみに悩まされる。色は艶のあるグリーンであることが多いが、秋には赤味を帯びるものあ   

          る。葉の形は、丸みを帯びたもの、ギザギザのあるものなど色々あるので要注意。見分け

          方は、葉が3枚ずつ1組みになっていること。
トゥリータバコ:6~25フィートの藪で、細長いチューブ状の黄色い花に特徴がある。

 バスの行く先は、シーサンから北へ1時間余り、ロス郊外に広がるサン・ゲーブル・マウンテンという所だった。周辺一帯は、エンジェル・ナショナル・フォレスト(森林保護区)に指定されているものの、鬱蒼たる森林というイメージはまるでない。地肌がむき出しになった薄茶色の山肌に灌木が生え、一滴の水もないドライ・リバーの痕跡が認められるような、お世辞にも風光明媚とはいえない場所だった。
 辺り一面に広がる緑の芝生もなければ、美しい木立ちの下に点在するベンチも見当たらない。
「えっ、ここでピクニックするの」と、

 文句のひとつも言いたくなるような感じで、ここに行楽に来る人はよほどの物好きに違いない、と思ったものだ。実際、我々のほかに人陰も見当たらず、なにを好き好んでわざわざこんな辺鄙な所にやってきたの
か。参加費無料ということと、歩いて帰るわけにもゆかないという2つの状況から、苦情の言葉かろうじて飲み込み、成り行きにまかせるしかないと我慢した。
 なぜこんなピクニックの企画をたてたのかは、現地に到着しておおよそ察しがついた。バスから降りると、初老の男性が偶然通りかかった風を装って近づいてきて、かおりさんと親しげに挨拶を交わしているではないか。かおりさんの紹介によると、専攻している大学の先生だという。
「せっかくだから、先生も一緒にピクニックをしましょう」とメンバーに加わった。
 要するに、このピクニックは授業の一環なのである。

 大学にはレクリエーション学科なる専攻科目があり、先生が授業で教えたことを生徒が理解しているかどうか。さらには、それを第3者にちゃんと伝える能力があるか否かを、ピクニックという形でテストしているわけである。
 みんなで歩き出す前に、
「分からないこと、知りたいことがあったら、なんでも質問してください。この草の名前はなんですか。あそこに飛んでいる鳥はなんという名前ですか、といった感じにどんどん遠慮なく聞いてください」、といわれた。
 こちらから質問しなくても、歩いている途中で立ち止まり、いろいろ自然についての話しを興味深く教えてくれる。例えば、その辺に生えている中で一番大きな木の前にくると、こんな話しをしてくれた。
「この森の主役はこの木です。この木にはこんなピンポン玉くらいの実がなります。その実を食べにリスがやってきます。落ちた実を食べに鹿もやってきます。茂みには、夜行性のカンガルーネズミも棲んでいます。それらの弱い動物を狙って、肉食獣のコヨーテやボブ・キャット現れます。空からは、猛禽類の鷲や鷹が小動物を狙っています」
 と、何の感動も湧かないありふれた景観に息づく自然の営みや生態系を、興味深く説明してくれる。
「この草はワイルド・セージです。セージはソーセージに使う香辛料のセージのことで、ネイティブ・アメリカンのインディアンたちも、料理や薬としてこの野性の草を使っていました。配ったチラシにもあるように、セージの仲間には白っぽい緑色をしたもの、強烈な香りのするラベンダー色のもの、ブラシのような細長い葉をしたものなど、いろいろあります。一枚葉をちぎって手のひらに乗せ、パンと両手を叩いてから、匂いを嗅いでみてください。ソーセージのあの匂いがしますよ」
「この奇妙な形をしたひょろ長い草はユッカといい、インディアンたちは大切な食料にしていました。どの部分を食べていたと思いますか。放射状に広がる細くて鋭い葉は、見るからに固そうで美味しそうじゃありませんね。これだけ乾燥地帯であれば、きっと茎も乾いています。そう、だとすると後は地面の下で、根っ子を食料にしていた、が正解です」
 その昔、この辺りにはインディアンがいて、ドライリバー(干上がった川)に架かったコンクリート製の橋桁には、当時の生活ぶりを描いた絵がペイントされていた。
 しばらくして、山道にさしかり登り坂になった。
「あの山を見て下さい。こちら側が北であっちが南です。どちらの方が、草木が沢山生えてますか。そうです、温暖な日本では日当たりのよい南斜面のほうが、樹木の成長に適していますが、年間降雨量の少ないカリフォルニアでは、北側の斜面のほうが土の中のヴァイタミンも豊富なので、植物にとって苛酷な気象状況の南側より、発育はいいんです。あとで、地面の中のヴァイタミンの量が、北側と南側ではどのくらい違うかお見せします」
 子供にも分かるほど噛み砕いた説明だが、いちいち納得することばかりで、殺伐とした景色に体温が伝わるように興味が湧いてきた。バスが到着したばかりの印象と違い、なんでもない景色が段々いとおしくなってくるようだ。文句の言葉を飲み込んで本当に良かったと、深く反省しつつ内心冷汗をかいた。
 そして大笑いしたのが、地面に落ちている小さく黒く丸い物を見つけたときのこと。初老の先生がそれを指さして、「カォーリ、カォーリ」というので、先を行くかおりさんを呼んでいるのかと思ったら大違い。
 何度も「カォーリ」と発音しても分からない日本人のために、老先生は「ライク・ア・ウルフ」とか「ニア・ザ・ジャッカル・オア・リカオン」などと、説明におおわらわ。そこではたと気がついたのが、日本語でコヨーテと発音する動物は、英語では「カォーリ」と発音するらしいと・・。
 案内役の「かおりさん」と「カォーリ」。偶然とは、いえそれ以来「かおり」という名前の人と出会うと「コヨーテ」を、「コヨーテ」と聞けば「かおりさん」を必ず連想する対語のような形で、わが脳みそにはインプットされている。
 今回のような大人とは別に、小学生くらいの子供と行くピクニックもあるという。その場合、自然のなかで空き缶やたばこのフィルターなど、人工的に合成されたゴミを見つけると、こう説明するそうだ。
「こういう物を捨ててはいけません。なぜだか分かりますか。これらのゴミは、あなたが大人になっても、ほとんど形を変えずにこのままの姿でここにあります。自分くらいいいだろうと思って捨てると、自然はどんどん汚れてしまいます。美しい自然の調和を乱すのは人間だけで、動物たちが自然を汚すことはありません。だから、太陽の光や土に含まれる微生物など、自然の力で分解できないゴミを捨ててはいけません。プラスチックやアルミニュウムなどのゴミは、リサイクルするのが人間の知恵です。わかりましたか?」
 噛んで含めるように、自然環境を大切にする心を教えるという。こんな情操教育を、日本の幼児たちにもぜひ行って欲しいと思ったものだ。

 願っても望めない、とても興味深く収穫が大であった自然学習ピクニックが終了し、バスは夕方シーサンにもどってきた。偶然手渡された1枚のビラという不思議な縁により、半日楽しく過ごせたわけだが、これも一期一会で明日からは会うこともないと思うと、どこかなごり惜しい。
 かおりさんに、面白くためになったお礼をいって別れようとしたら、またもや意外な誘いを受けてしまった。こちらの思いが通じたのだろうか。
「今度の週末、サプライズ・キャンプに行きません?」
 しかし、サプライズ・キャンプってなんだろう。サプライズが驚くという意味なのは分かるが、どうしてそれがキャンプと結びつくのだろうか。意味も内容も理解できないまま、暇な観光客はまたまた「イエス」と答えていた。
 その後でゆっくり説明を聞くと、かおりさんのボーイフレンドの誕生日に、本人だけに知らせずにキャンプに誘い出し、キャンプ場に先回りした友人たちで、彼を驚かせて祝おうという趣向だという。昨日知り合ったばかりの人から、まだ見たこともない人の誕生パーティーに泊まりがけで誘われるなんて、なんてアメリカ的なんだろう。
 当日は、T君の持っている一番大きな鍋に料理を作り、車3台に分乗してキャンプ場に向かった。目的地は、サンタバーダラの南東にあるレイク・カシータス。いつも疑問に思うのだが、このカシータスのようにレイクが頭に付く場合と、後ろにする場合ではなにか一定の仕来たりがあるのだろうか。湖の大きさではなさそうだし、どうでもいいような素朴な疑問が未だに解けないでいる。
 キャンプ場は、料金所を兼ねたゲートを使って出入りするようになっていて、キャンプ・サイトに空きがない限り、あらかじめ予約した車しか入れない。代表者の名前を告げて料金を払い、割り当てられたキャンプ・サイトの番号を地図で確認して、そちらへ向かった。われわれの場所は、湖に面しているだけでなく、背後の丘を登ったところに売店があり、食料や燃料が足りなくなった場合も買い足すのに都合がよい。
 別行動のかおりさんは、テントや寝袋などを人数分レンタルして、現地で合流。湖のほとりにテントを張り、ほぼ料理が完成したころ、何も知らないボーイフレンドが騙し役の友人に連れられて登場した。
 みんなの策略が大成功したことでひとしきり盛り、静まったところで全員が改めて自己紹介。総勢16人の内訳は、日本人の他にも台湾から移民した学生や、アメリカ在住の日系3世も混ざっている。夜遅くまで騒いでも、キャンプ・サイトの間隔が離れているため、苦情も出ないし他人の騒音も聞こえない。

 みんなで持ち寄った料理を食べ、買い集めてきた酒でなんども乾杯くり返した。誕生日用のケーキを切り分けてデザートにし、キャンプ・ファイアーを囲んで歌を唄い、はたまたゲームに興じてアメリカ流の宴会を存分に楽しんだ。
 キャンプのスタイルもさまざま。我々のようにセダンで来る人は少数派で、4WDやキャンピングカーが主流だが、持参する遊び道具が半端じゃない。特別な牽引免許が不要なせいもあり、3輪バギーカーやトライアル・バイクをはじめ、釣り用のボートも自家用なら、乗馬を楽しむために馬まで連れてくる人もいる。
 キャンピングカーにしても、アメリカではモーター・ホームとかハウス・トレーラーと呼ばれるくらい、“移動する家”そのものの設備がそろっている。冷暖房完備は当たり前。レンジにテレビに冷蔵庫、シャワーからベッドまで充実した設備が、限られた空間にコンパクトに収納されている。さらには、上水道の供給から下水道の排水もスムースに行え、車のバッテリーに負担がかからぬよう、AC電源やケーブルテレビのコンセントまでそろっていて、限りなく居住空間に近い快適さを味わえる、RV(レジャー・ヴィークル)マークの付いた専用のキャンプ場も少なくない。

 朝の目覚めは、震え上がるほどの冷えこみと、湖からあがってきた群れなすガチョウの鳴き声で起こされた。湖上には幻想的に朝靄がかかり、ボートを浮かべた釣り人も遠望できる。都会暮らしをしているせいか、靄とか霧とか雹とか霞みなど、雲や雷以外の雨冠の付いた自然現像を見たのは遠い昔のことである。
 さらに遠くの丘に目をやれば、木立ちの中から野性の鹿が姿を現した。ひとくちに鹿といっても、「あれは、ディアの仲間」だと教えられた。ディアとは、映画『ディア・ハンター』に登場する鹿で、他にも代表的な種類としては、エルクにムースにカリブーにビッグホーン、そしてカリフォルニアでは絶滅してしまったが、オレゴン州には棲息するというプロングホーンなどの仲間がいるという。いずれにしても野性動物が主人公のエリアに、人間がよそ者として入り込んでいる関係を知らされた。
 こんなに自然が豊かなところでキャンプをして、1人当たり22ドルという安さ。これにはキャンプ場の入場料をはじめ、寝袋とテントのレンタル代と往復のガソリン代、食費と酒代のすべてが含まれていて、足して割り勘にした数字がこれである。なかでも感心したのは、キャンプ場代が車1台に付きいくらという設定なので、1人で来ても1台に6人乗っていても同額。排気ガスが自然に悪影響を及ぼす配慮を考えた、アメリカ的な合理性精神がここにも働いているようだ。
 この金額でこれだけの自然を楽しめるなら、文句のあろうはずがない。なにかすごく得した気分である。
日本では堂々と「オートキャンプ場」と明記してあるのに、単に駐車場が付いているだけで、キャンプ・サイトまで食料やテントを歩いて運ばなければならないところも珍しくない。そのうえただ大地にテントを張るだけなのに、カプセル・ホテル並みかそれ以上の料金が相場になっているから、悲しくなる。
 しかも、せっかく都会を逃れてやってきたのだから、鳥たちのさえずりを聴き、木立ちを吹き抜ける風の音に耳をすませたいのに、カラオケが鳴り立てる輩がいたりして、とても自然を楽しむどころではない。
こんな風なので、日本ではいまひとつアウトドアを趣味にする気になれないでいる。

 レンタルしたキャンプ用品を返しにいって驚いた。巨大な体育館2つ分ほどの店内に、ありとあらゆるアウトドア用品が所狭しと並んでいる。同じトレッキングでも、アラスカからグランド・キャニオン、さらには海面より低いデスヴァレーまである国である。寝袋でも夏用冬用に加えて極寒用とあるし、鹿や熊撃ちの猟銃もあれば、鳥撃ちの散弾銃も並んでいて、自分で薬きょうに火薬を詰めて弾丸を作るキットまで売っている。しかも、こんなに安い値段なら欲しいと思うものばかり。
 しかしいくら安くても、日本の混雑していてゴミが散乱する自然のなかで使うのでは、興冷めである。たとえ美しい自然環境があっても、そこへたどり着くまでとそれを利用するための料金が、日本ではどう考えても高過ぎて見合わない気がする。年1回のアメリカ旅行のために、T君に預けて置く手もあるが、貧乏旅行者はその余裕すらないので、泣く泣く指をくわえてあきらめることにした。
 店を出たところで解散と思いきや、かおりさんからまたまた予定にない提案が出された。
「まだ陽も高いし、このまま帰っても仕方がないから、この先特に予定がない人だけで、馬に乗りにゆかない?」
 ピクニックとキャンプに続き、乗馬という予想もしてなかった魅力的なおまけを断わる理由はない。乗馬は未体験ながら、かくべつ予定もない2人はすぐさま諸手を上げて賛成した。乗馬ができる牧場は、絶叫コースターで有名な遊園地、マジック・マウンテンの隣りにあるという。牧場へは10人ほどで向かうことになった。
 まずは申込書の記入から。身長体重のほかに、過去の乗馬体験と乗りたい馬の種類を書く欄がある。種
類といっても、サラブレットとかアラブ系など馬の品種を指すわけではない。スロー、ミディアム、ファーストなど、足の速さを表すもの。また体重や乗馬体験を書くのは、仔馬や老馬に肥満体の人を乗せたら可哀相だし、気性の荒い馬を初心者に回さないようにする配慮である。
 1人を除いて皆初体験なので、馬の種類は9人が「スロー」に丸を付けた。馬10頭ほどのグループに、テレビや映画で見るカウボーイ姿の牧童が1人つき、いざ出発。鞍の上は、地面で見るより高いことと、胴体が意外に太くガニ股状態になることを知らされた。しかも先頭の馬が走り出すと、馬にも集団心理があるのか「スロー」の馬も走り出してしまう。初体験者は、降り落とされないようただしがみつくしか能がない。馬に乗っているというより、馬に運ばれているという方が当たっている。
 いちおう、たずなの持ち方をはじめ、引いたたずなの方に曲がるとか、馬の腹を踵で蹴れば進むとか、馬の胴を両足で締め付ければ止まるなど、かい摘まんで馬の操り方は教わった。しかし、集団心理の方が強いのか、はたまた乗せている初心者をなめきっているのか、いくらたずなを引いて馬に「スロースロー」とか「ストップ」と叫んでも、乗り手の意志などまるで聞いてくれない。気分はほとんど、映画の『シティ・スリッカーズ』(へなちょこ野郎という意味)である。
 しばらく馬の背に揺られているうちに、遠い過去の記憶が蘇ってきた。なにを隠そう、少年時代はガンベルトを腰に巻き、早撃ちの練習に熱を入れたほど、西部のガンマンに憧れていた。テレビの西部劇で決闘シーンがあるや、自分もガンベルトを腰に巻いてブラウン管に立ち向かい、早撃ちの競争をしたものだ。人差し指でクルクルと回した拳銃を、スポッとホルスターに収めるガン・プレイも、指の皮がすり剥けるほど練習した。
“世界一0.07秒の早撃ちガンマン来日!”の宣伝文句に踊らされ、親にせがんでそのショーを観たさに、千駄ヶ谷の東京都体育館に出かけたこともある。世界一の早撃ちガンマンの名前は、確かマーク・リードだったように思うが、勘違いだろうか。
 これほどの入れ込みようだったので、西部劇は文字通りテレビにかじり付き欠かさず観ていた。どのくらいファンだったか、試しに記憶の糸をたどってみると・・。
 流れ者のジェフと若き牧場主スミスのコンビがよかった、『ララミー牧場』。白馬シルバーにまたがる覆面姿の正義の味方が、純銀の弾丸を使いインディアンの相棒トントと活躍する、『ローンレンジャー』。中折れ銃を使う遊び人の博打うちを、声優の名古屋章がとぼけた感じを出していた、ジェームス・ガーナー演じる『マーベリック』。
 声優ロイ・ジェームスのアフレコが本物に思えた、ジェームス・アーネス扮する保安官の『ガンスモーク』。毎回オープニングで、特注のライフルを腰だめのまま連射する映像と共に、「スターリング チャック・コナーズ」のナレーションが流れる、やもめの父と息子の物語り『ライフルマン』。家長のベンを中心に、パンダローサ牧場のカートランド一家が団結して事件を解決する、『ボナンザ』・・等々。
 他にも、若きクリント・イーストウッドが出演していた牛追いの『ローハイド』に、珍しい女性ガンマンが主人公の『アニーよ銃をとれ』。ヘンリー・フォンダが保安官役を演じていた、『胸に輝く銀の星』。さらには『遥かなる西部』に『大平原』、思いを巡らすと次から次に記憶の引き出しが開いてきりがない。なかでも特に好きだったのが、スティーブ・マックィーン演じるジョッシュ・ランダルの『拳銃無宿』。
 逃亡中の罪人にかけられた懸賞金稼ぎの物語で、ライフルの銃身を短く切り落とした“ランダル銃”で、悪
人を追い求めて旅する一匹狼の男のマックィーンが好演していた。懸賞金のポスターに書かれた、「DEAD or ALIVE」(死体か生きたままで)の文字が強烈な印象として脳裏に焼き付いているのと、拳銃無宿の原題がなんだったのか、いまも気になっている。
 そして、もう1本が『ブロンコ』。荒馬(ブロンコ)にまたがる流れ者の早撃ちガンマン、ブロンコ・レインをタイ・ハーディンという役者が演じていたと記憶する。
 いま風に言うなら、“西部劇オタク”だった少年が、30年もたってからまさか本物とみまがう世界に立てるとは・・。この感激は言葉では例えようもない。「わぁお~」と、体の奥底から湧いてくる感激にしびれたものである。夢か現か、半ば心ここにあらずといった感じのまま、荒野といった雰囲気のデザート(沙漠)地帯を進み、バシャバシャと川を渡りブッシュに分け入っては進んでゆく。
「沙漠に川があるのか?」と、不思議がる人もいるかもしれないが、沙漠といってもサハラやナビブやタクラマカンのような、砂丘が広がる砂漠ではない。ちなみに、英語では砂丘の砂漠はデューンといい、デザートは同じ沙漠でも、降雨量が極端に少ないために植物が育ちにくい不毛の地を指す。観た目はサバンナに近
い感じで、デザートのなかでは、ロサンゼルスの東に広がるモハベ沙漠が有名である。
 見渡す限り家も道もなく、地面に残された馬のひずめの跡が果てしなく続くだけの景色に、この自分が立っている感動をどう言い表せばいいのだろうか。牧場の敷地の境界線を表す、鉄条網の柵さえ見えない。そんな荒野を馬に跨ってゆく気分は、子供の頃に描いた夢の中にイメようで、鳥肌ものである。本人さえ忘れていた、子どもの頃に抱いた夢が実現したことが嬉しくて、こらえてもこらえても笑みがこぼれて止まらない。自分が映画の1シーンのなかにいるようで、その辺からガンマンが登場しそうな気さえしてきた。
 そんな気分を嫌が上にも高めてくれたのは、タンブル・ウィード(秋に根元から折れて吹き転がるヒエ、アカザ類の雑草)を見たときだった。映画『真昼の決闘』をはじめ、西部劇のクライマックスである決闘シーンには、必ずといっていいほど登場する、風に吹かれて転がる丸まった枯れ草のことである。テレビや映画で見るかぎり、決闘シーンを盛り上げるための一種の小道具じゃないかと思っていたが、紛れもなく自然が作りあげた本物であることを確認。と同時に、馬から降りて触りたい衝動を辛うじてこらえた。
 予定の半分ほどの時間が経ったところで、付き添いの牧童が先頭に回り込み、「ここらでリターンしましょう」と告げてきた。この辺りで、またひとつ大きなミスを犯している自分に気がついた。朝の冷え込みが嘘のように暖かくなっていたので、単パン姿のまま馬に乗ってしまったのである。馬の背に揺られ、その揺れにリズムがうまく合わない初心者のむき出しの腿は、固い鞍との摩擦をくり返し、腿の内側に生えてた体毛を根こそぎこそげ落とす結果を招いていた。
 帰り道早々に内腿の痛みに気づいたが、30分近く馬に乗ってきた原野を、歩いて帰るわけにもゆかず、痛
さをこらえて馬の背に我が身をゆだねるしかない。あたかも、乗馬という名の拷問にかかっているようだ。やっと牧場が見えてホッとしたのも束の間、馬も荷物である人間を降ろせる喜びからか、一目散に走り出した。その結果、拷問にも拍車がかかり、悲鳴をあげたいほどの激痛が走る。やっとの思いで馬から降りて内
腿を調べれば、毛穴からプチプチと血が滲み出ているではないか。自ら招いたミスとはいえ、乗馬を申し込んだ時点でひと言アトヴァイスしてくれても損はないのにと、関係者を恨んだものだ。
 それとは対照的に、初めはあまり乗り気じゃなかった女性陣の感激ぶりは、尋常じゃない。馬から降りたばかりだというのに、「お願い、もう1度乗っていい?」と、全員がアンコール。さらに1時間追加の申し込みをして、再び原野の彼方へと消えてしまった。こちらはなす術もなく、ただ後ろ姿を見送り帰りを待つしかない。土埃の舞う牧場の柵に腰かけ、遊び疲れてぼーっとしていたら、勇ましい即席のカウガールたちが夕焼け空をバックにもどってきた。
 それにしても、たっぷり遊んだわりにこれまた費用の安かったこと。たっぷり1時間、荒野でカウボーイの体験ができる料金はわずか11ドル。こんなに気分のよいものなら、本格的に乗馬を習おうかと思ったほど
だ。日本でも乗馬はできるが、「荒野」という名のシチュエーションは望むべくもない。
 ましてや教える人は、本物のカウボーイではないし、遠くに藁葺き屋根やビルディングを見ながら馬に乗っても、こんな気分にはならないに違いない。アメリカにきて、テーマパークと称する遊園地巡りをするのもいいが、西部で乗馬をすれば、それがそのまま大自然という壮大なテーマパーク体験になると納得した。
 満足に継ぐ大満足。遊びに遊んだ長い一日が終わり、この日を境にアメリカ西部の田舎が好きにな「種」が、心に植えつけられた気がする。