メイヤー(市長)は、映画俳優だった。 | it' my america

メイヤー(市長)は、映画俳優だった。

 ロスアラモスを後にして、サンルイオビスポでUS101号線を降り、海沿いを走るPCHことパシフィッ
ク・コースト・ハイウェイに出た。運転免許証を持ってなかったこのときは、後部座席に座りながら「なんと
曲がり道の多いルートか」と、右に左に曲がり続ける車に辟易したものだが、昨年夏自分でハンドルを切りな
がら北から南へと逆に辿ったところ、あっけないほどそのルートが終わってしまい、拍子抜けしたものだ。
 ずっと太平洋を眺めながら、西海岸沿いに走りカーメルへ到着。海岸に出てみて野鳥の多さに驚いた。カモメをはじめ、黒く艶のある羽の色が光線の加減で緑色に見える、黄色い目のブリュワーズ・ブラックバード。大きなペリカンさえひょこひょこと近づいてきて、手に乗せたポテトチップを食べにくる。焼き鳥は大好きなくせに、生きている鳥は「鳥肌がたつほど嫌い」だというYさんが、こんな様子を見て10m向こうで悲鳴をあげている。
 この高級リゾート・タウンの市長が、ちょうど俳優のクリント・イーストウッドだった時期で、ビジター・センターを訪ねてみたら、壁には彼の横顔の写真が誇らしげに飾ってあった。モーテルの一覧表をもらうついでに、Yさんは市長の写真の前ですかさず記念にパチリ。さすが西海岸でも有数の観光地だけに、宿泊代の最低価格が昨日の倍以上する。

 節約がモットーの3人組みは、さっさとあきらめて街を出るしかない。近くで安いモーテルに泊まり、翌日はサンフランシスコで観光客になった。大のブランド好きのYさんは、ユニオン・スクエァにあるバリーに吸い寄せられてバッグを買い、ケーブルカーに乗ってはしゃぎ、サビ止め色した赤いの金門橋に「黄金色じゃないじゃないか」と文句をたれ、ピア(桟橋)で乗った人力3輪車のマッチョマン(筋肉男)に金をぼられ、単なる観光客はマヌケなお上りさんに転落した。
 夕方、サクラメント近郊のディクソンに住む先生のお宅に伺い、Yさんは念願の再会を果たし旧交を暖めた。離婚して母娘の2人暮らしの先生は、アルバムに載っている日本にいた頃の写真とは見違えるほど太っていた。離婚というストレスが、食欲に向かったのだろうか、それとも単に遺伝子の成せる技なのか。14歳の娘さんも同じように太りかけていて、あまり幸せそうに見えなかったのが気になった。
 ディクソンでも、モーテルを捜して1泊した。旅の目的を果たして「ホッ」とひと息、モーテルの部屋で酒を飲みながら話しているうちに、なぜか涙があふれたきた。2人の若さに嫉妬したのか、英語のできない自分を情けなく思ったのか、はたまた日本からはるばる離れてホームシックになったのか。

 モーテルの廊下に出て座り込み、ひとり悲しみに包まれて泣いたことだけを覚えているだけで、その原因や理由となるとまるで記憶にない。 帰り道のインター・ステイツ・ハイウェイ5号線では、レイク・タホの標識に「学校休んでもう一泊して帰ろうか」と、何度もハンドルを切ろうかどうか迷いながらも、断念して後ろ髪を引かれるように南下した。