ええ話もあるとおもう



私は当時かなり裕福な貨物を商う船会社にうまれたようです

幼児の時に病気になり顔中あばたがいっぱいでした


妹夫婦に子供ができなかったので父は妹にあげたそうです

そして私の名前が銭になりました

この家も醤油問屋をしていて食べていくのには何も不自由はありませんでした その後に弟や妹も生まれました

実の母もきれいな人でしたが母もきれいで上品で私を自分の子供として育ててくれました 

子供のころから許婚があって早く結婚しました

このひとり娘は杭州にいるそうですが連絡が取れません

65ぐらいになっているでしょうか


戦争になりました 蒋介石率いる国民党がどんどん毛沢東に敗れて

共産化されていきます

そして国民党と共に台湾に逃げました

ほとんどの人たちは着の身着のままで、、、それからは悲惨な生活が待ってました

始め台湾の人は蒋介石が国民党と台湾に来ると大歓迎でした

ボロボロの兵隊を見て態度が変わりました

上海にいた私たち若い者は徴兵され妻や家族と別れて台湾に行ったのです。 ただそのときは国民党が台湾でもう1度勢力を盛り返し本土に戻れるとおもっっていました

毛沢東が中国全土を共産国にして10月で60年になります

ここ上海では10月1日から8日までを祭日にして建国60年を祝賀しています.私と名前は違いますが実の兄は台湾で職を探しました

兄はコックですぐ働き出しましたが私は手に職がなく

ビルの掃除、新聞配達、レストランの閉店後のかたずけ等、何でもやりました、2x2mが私の住処になりました

そんな時、兄はひょんなことで1人の女の子を助けました

この子は家が貧しかったのでお金持ちに売られた子で中国が共産化される前に金持ちが3人をメイドとして連れてきてました

主人が横暴ですぐに殴るのでいつも泣いていたそうです

かわいそうに思った兄が金持ちに掛け合いましたが話しにならず

暴力にあったのがきっかけで2人でと遠いところへ逃げました

兄も職を失い日雇いで金ができたら博打で負け、酒びたりになり

働いても働いてもどん底の生活でした

それでも月日がたって5人の子供ができました

一人は生まれてすぐになくなりました

二人は食べていけず金持ちに売ったようです 

やっと外国貨物船のコックに仕事見つけ自分の暮らしは楽になりましたが

ギャンブル、酒、女に溺れ家にはお金を入れません

そして1年に30日も台湾にいません

あまりに嫁がかわいそうなので兄に言うと喧嘩になり

俺は別れるからお前にが好きなようにしろ、、、

そして家には戻らなくなりました

まもなくして私と兄の嫁は一緒に暮らすようになりました




ええ話もあるとおもう