ビクター スバル
たしかグアム大学に通っていたと思う 当時はパラオから来てグアムに住むには
通学することが義務になってたはずや
うどんの製造を教えた 無口やが頭がいいのかすぐに憶えた
毎日グアムディリ-ニュース(新聞)を読んでいた
時事に詳しかった 解らん英語をよく教えてもろた
ゆっくり きっちり 教えてくれた
初めて雇ったパラオ人 非常に印象がよかったのでそれからパラオとの繋がりが出来
た
レストランのすぐ裏に住んでいた 小さな倉庫か屋根裏か、、そんな粗末なとこに
4人程の男の子が住んでいた
ただみんないつもビール飲んでマリファナすうていても あいつだけさめていた
インテリやったと思う
いつもまじめなビクターが2日間休んだ 家に行ったが帰ってない 仲間もどこに
行ったか知りません
二日後いつもどうり仕事に来たので、、どうしたんや、、、、と聞いたら
3日前にアガナの交差点で自分は黄色の信号で入ったのに後ろから付いてきていたパ
トカーに
止められ切符を切られた 信号を出たのも黄色でまちがいないのにポリスに赤で入っ
たと言われた
違反チケットにサインするように強制させられたのでその場でやぶってばら撒いた
そのままパトカーで連れて行かれ留置場に2日キッチリ入れられた
罰金はなしやがコンクリートのうえに直に寝かされ毛布も貸してくれず
寒くて寝られへんかった 2度と行きたくない所や云うてました
その当時よその島から来たものは多かれ少なかれこんな扱いをされていました
ただ彼らもしたたかです
よく飲むし、、、、、飲んでよく車の事故をおこします
事故をしたらその場から逃げてしまうのです 相手が見てても、、、
そして次の日に警察に出頭するのです
何でか解りますか?
次の日に出頭した時には酔いがさめていて飲酒運転にはなりません
5年程して結婚しました
あらためての結婚式はありません 同棲してたから、、、
子供が出来たので家に来いと言われ新しく引越ししたアパートに彼をたずねました
ちょうどプラスチックのたらいで行水をさせていました
嫁さんもパラオ人です 赤ちゃんを見てびっくりしました
赤ちゃんの皮膚が白人のように真っ白です
おい ビクターこれお前の子か?と言うてしまいました
嫁はんにも聞えたらしく恐い顔をされました
しやけど、、びっくりしたで、、、親二人とも真っ黒やで、、、、
黒人の黒さとは違うけど日本人がなんぼ日焼けしてもああはならんで、、、、
ビクターにまで白い目でみられているようでプレゼントを置いて逃げて帰りました
一度大阪へ連れて帰ったことがありました
一週間程いてたやろか 帰る1日前に弟がトルコに連れて行こか、、、ということに
なり
確か弟の友人が琵琶湖のそばの雄琴温泉に彼を連れて行きました
外人やから特別料金取られた云うてました 僕には何処行って来たか云いません
ただOHTSU OUTSU と云うようになりました
そうです 滋賀県の大津の事なんです 一生の思い出になったと思いますが
僕にはなんにも話してくれませんでした
ある時 野球の大好きなビクターからパラオベースボールチームのオーナーになって
欲しい
と云われる エー--ッ、、、
話を聞くとお金がない ユニフォームが買えない 2000ドル位で1年間やれると
の事である
サクラヌードルハウス パラオチームが出来た みんな喜んだ
パラオの人達からの僕を見る眼が変わった もちろん ビクターの嫁さんも、、、、
ビクターがICU(集中治療室)に入ったと連絡が来た 何に、、、何でやねん???
今日の朝嫁さんをサクラの近くの職場に乗せてきてそのまま倒れた
そういえば持病が心臓肥大でしんどそうな顔してる時があった
すぐに病院へ行ってみる ICUは面会謝絶です 黙って入っていった 上半身を
ちょっと上げてあった
起きていた 鼻に管が入っていた
僕を見るなり サブロウ 今日俺うどん作られへん、、、、、というた、、、、
大丈夫や 、、、心配すんな、、俺がやっとくから、、、、
それだけ云うたら涙が出てきてすぐに出た それから2時間位後にもう一度行ったが
もう口もきけず6時間程で逝ってしもた
他のパラオの従業員達に葬式の手伝いに行かせた
そして僕が葬式の費用を全部持ちたいと申し出た
5日たって葬式の日 彼の家をたずねた たくさんの人が家のまわりに集まっていた
僕を見るとすぐ中にとうされた
ビクター寝かされていたが何か生きてるようで、、、、、
おーい ビクター 行こか、、、というたら オーヶーと声が帰ってくるよう
で、、、、
さよなら、、、ありがとう、、、、ていうのが声になりませんでした
あれから長い時間がたちます 嫁さんは7,8年経って再婚したようです
今僕の新しい部屋にビクターが作ったパラオストリートボードが飾ってあります
彼からの誕生日のプレゼントです
1986年9月9日 命日
たしかグアム大学に通っていたと思う 当時はパラオから来てグアムに住むには
通学することが義務になってたはずや
うどんの製造を教えた 無口やが頭がいいのかすぐに憶えた
毎日グアムディリ-ニュース(新聞)を読んでいた
時事に詳しかった 解らん英語をよく教えてもろた
ゆっくり きっちり 教えてくれた
初めて雇ったパラオ人 非常に印象がよかったのでそれからパラオとの繋がりが出来
た
レストランのすぐ裏に住んでいた 小さな倉庫か屋根裏か、、そんな粗末なとこに
4人程の男の子が住んでいた
ただみんないつもビール飲んでマリファナすうていても あいつだけさめていた
インテリやったと思う
いつもまじめなビクターが2日間休んだ 家に行ったが帰ってない 仲間もどこに
行ったか知りません
二日後いつもどうり仕事に来たので、、どうしたんや、、、、と聞いたら
3日前にアガナの交差点で自分は黄色の信号で入ったのに後ろから付いてきていたパ
トカーに
止められ切符を切られた 信号を出たのも黄色でまちがいないのにポリスに赤で入っ
たと言われた
違反チケットにサインするように強制させられたのでその場でやぶってばら撒いた
そのままパトカーで連れて行かれ留置場に2日キッチリ入れられた
罰金はなしやがコンクリートのうえに直に寝かされ毛布も貸してくれず
寒くて寝られへんかった 2度と行きたくない所や云うてました
その当時よその島から来たものは多かれ少なかれこんな扱いをされていました
ただ彼らもしたたかです
よく飲むし、、、、、飲んでよく車の事故をおこします
事故をしたらその場から逃げてしまうのです 相手が見てても、、、
そして次の日に警察に出頭するのです
何でか解りますか?
次の日に出頭した時には酔いがさめていて飲酒運転にはなりません
5年程して結婚しました
あらためての結婚式はありません 同棲してたから、、、
子供が出来たので家に来いと言われ新しく引越ししたアパートに彼をたずねました
ちょうどプラスチックのたらいで行水をさせていました
嫁さんもパラオ人です 赤ちゃんを見てびっくりしました
赤ちゃんの皮膚が白人のように真っ白です
おい ビクターこれお前の子か?と言うてしまいました
嫁はんにも聞えたらしく恐い顔をされました
しやけど、、びっくりしたで、、、親二人とも真っ黒やで、、、、
黒人の黒さとは違うけど日本人がなんぼ日焼けしてもああはならんで、、、、
ビクターにまで白い目でみられているようでプレゼントを置いて逃げて帰りました
一度大阪へ連れて帰ったことがありました
一週間程いてたやろか 帰る1日前に弟がトルコに連れて行こか、、、ということに
なり
確か弟の友人が琵琶湖のそばの雄琴温泉に彼を連れて行きました
外人やから特別料金取られた云うてました 僕には何処行って来たか云いません
ただOHTSU OUTSU と云うようになりました
そうです 滋賀県の大津の事なんです 一生の思い出になったと思いますが
僕にはなんにも話してくれませんでした
ある時 野球の大好きなビクターからパラオベースボールチームのオーナーになって
欲しい
と云われる エー--ッ、、、
話を聞くとお金がない ユニフォームが買えない 2000ドル位で1年間やれると
の事である
サクラヌードルハウス パラオチームが出来た みんな喜んだ
パラオの人達からの僕を見る眼が変わった もちろん ビクターの嫁さんも、、、、
ビクターがICU(集中治療室)に入ったと連絡が来た 何に、、、何でやねん???
今日の朝嫁さんをサクラの近くの職場に乗せてきてそのまま倒れた
そういえば持病が心臓肥大でしんどそうな顔してる時があった
すぐに病院へ行ってみる ICUは面会謝絶です 黙って入っていった 上半身を
ちょっと上げてあった
起きていた 鼻に管が入っていた
僕を見るなり サブロウ 今日俺うどん作られへん、、、、、というた、、、、
大丈夫や 、、、心配すんな、、俺がやっとくから、、、、
それだけ云うたら涙が出てきてすぐに出た それから2時間位後にもう一度行ったが
もう口もきけず6時間程で逝ってしもた
他のパラオの従業員達に葬式の手伝いに行かせた
そして僕が葬式の費用を全部持ちたいと申し出た
5日たって葬式の日 彼の家をたずねた たくさんの人が家のまわりに集まっていた
僕を見るとすぐ中にとうされた
ビクター寝かされていたが何か生きてるようで、、、、、
おーい ビクター 行こか、、、というたら オーヶーと声が帰ってくるよう
で、、、、
さよなら、、、ありがとう、、、、ていうのが声になりませんでした
あれから長い時間がたちます 嫁さんは7,8年経って再婚したようです
今僕の新しい部屋にビクターが作ったパラオストリートボードが飾ってあります
彼からの誕生日のプレゼントです
1986年9月9日 命日