小6のときプールの授業を見学していたら、それほど仲良くなかった同じクラスのMが話し掛けて来た。


M「JUNちゃん今日はどうして見学してるの?風邪?」

J「ううん、違うけど…」

M「えっ?じゃあ何で?どっか痛いの?」


女の子が水泳の授業を休む理由なんてアレしかないだろうと思いながら

私は何故かまだ生理の始まっていない、おそらく自分がどうして生まれたのかすらもまだ知らない純粋なMに

「生理だから」

という一言を言うのをためらってしまった。


当時から一部の友達の間ではHENTAIの名を恣にしていた私は

その手の話が大好物な耳年増の友人Aなどとは体位や口腔性技(専門用語っぽく言ってみたw)などの話題を頻繁に口にするような子供であったが

それほどの私が何故かMには普段口にしている放禁用語に比べたら何と言うことのない【生理】という単語を言うことが出来なかったのである。


私は彼女の汚れない純白さを前に、たとえそれが学校の授業で習う【生理】という対してエロい訳ではない単語すらエロく感じ

彼女にそれを言う自分が酷く恥ずかしく思えてしまったのだ。


性に対してオープンであるのは良いことだと思うが、性とは本来恥じらうべきもの、禁忌的なものという認識が根底にあるからこそ魅力的なのだ。


性とは開けるなと言われた箱を開けたくなる衝動に似ている。

もし誰もが性を開けっ広げに口にし、性に対する恥じらいという概念がなくなってしまったら我々は性にこれほど関心を持たないだろう。


思春期の子供たちは性に対する恥じらいや背徳感からそっちの世界がよりきらびやかに見え、湧き上がる興味と興奮に身を任せ未知の世界に足を踏み入れるのだ。


私がTABOO視される性に対してオープンであるのは性は決して疚しい、後ろめたいことではないと思っているからで

また関心がありながら性について口にすることをためらっている人たちにカッコイイなんて思われたいからだったりする。


しかし一方で、性に対する恥じらいを忘れてはならないと思う。

想像力を掻き立てられるのも性に対する探究心が湧いて来るのもそこに恥じらいがあるからこそなのである。


私は何も知らない純粋なMを前にその恥じらいが顔を出した訳だが、大人になった今でも私は性に疎い友人にそれについて口にすることを少しためらってしまう。

しかし普段は純粋そうに見えて実はエロい子に変態発言を連発して興奮してしまうそんな私はやっぱりHENTAIだ(´^q^`)