偏屈人間JUNの狂気的世界-100815_2151~01.JPG

これは見ての通り氷砂糖である。裏には「スポーツ、登山、ハイキング、お子さまのおやつ、疲れた時、喉の痛みや声のかすれた時などにお召し上がり下さい。」とご丁寧にどんなときに舐めれば良いかの具体例が列挙されている。


そもそも何故こんなものを買ったのかというと、母が送って来た御中元ギフトセットの中に微糖と無糖の珈琲が入っていたことに端を発する。


勘の良い方はお気付きだろう。この氷砂糖は珈琲に入れるために買ったものだということに。


だが如何せん私は往々にして詰めが甘い…というかまぁ簡単に言えば馬鹿なのではないかと思うことがある。


今回の一件こそその一例である。読者は「珈琲に入れるならスティックシュガーかガムシロップでいいじゃないか」と思うだろう。私もそれはもっともだと思うし反論のしようがない。


だがしかし私は稀に見る倹約家…まぁケチな訳で、本来珈琲に入れるに相応しいタイプの砂糖とこの氷砂糖の値段を比較した結果後者が選ばれたのだ。


ところがもはやこれは飴として舐めるものだと言わんばかりのこの氷砂糖が冷たい珈琲に溶ける筈もなく。


仕方なく一旦口に入れガリガリと細かく噛み砕いてそれを出し珈琲に投入するという下品極まりない行為に出た。


だが結局溶けずにコップの底に残った氷砂糖の細かい粒たちが虚しくて悔しくて…2010夏。


勿論珈琲が甘くなることはなく、ただただ自分の甘さを痛感することとなったそんな苦い夏の思い出。




その他にもこんなエピソードがある。


一年前の夏、炎天下で長時間チャリを走らせさすがに限界が来た私は、冷たい飲み物を求めて吸い寄せられるようにコンビニに入った。


そこで目に止まったのはペットボトルに入った凍った水である。今もスーパーやコンビニでよく見掛ける氷晶などの類の凍らせた飲み物だ。


私は激しく喉が渇いていて一刻も早く冷たい飲み物を喉に流し込みたかったのだがそのとき思いも寄らぬ行動に出た。


なんとその「凍った水」を買ったのだ。このとき私は「ペットボトルの蓋を開け空気に触れた瞬間、内部で何らかの反応が起こりこのカチカチの状態からすぐに飲めるジェル状若しくは限りなく液体に近いシャーベット状に変化するだろう」と思ったのだ。


根拠はなかった。だがその根底には「コンビニで売っている飲食物は買ってすぐその場で飲み食い出来るものだ」という勝手な思い込みがあったのだ。


しかし思惑は外れ、私は心の中で泣きながら氷が溶けるのを待ちチャリを走らせることとなった。


だがそこでもう一本別の飲み物を買ってしまうと倹約家…いやドケチの名が廃るというものだ。


その氷からゆっくり溶け出した雫を私は一滴ずつ舌に垂らしながら帰路についた。何かを「飲んだ」という気が全くしなかったのは言うまでもない。


後日この話を友達にしたら私の思い込みに対して「そんな訳ないやんwww」というもっとも過ぎるコメントが返って来た。




このように私は何度自分の詰めの甘さ…まぁ言ってみれば馬鹿さ加減で涙を呑んだか解らない。










こんな私可愛いだろ?(^O^)