先斗町_お茶屋 | ワーママだったけど、乳がん治療中

ワーママだったけど、乳がん治療中

自然妊娠で、46歳と11か月で高齢出産し、旦那、息子をほったらかしにして海外出張に行っていたら、コロナでStay in Japan . そんな時、61歳で乳がん発覚、
ステージ2A、ホルモン受容体陽性、Ki67は50%、悪性度2.

先斗町にはその昔

ボスの幼馴染がいた

 

ボスが高校3年の1年間を過ごした京都

そこで出会った

同じ歳の女の子、

吉田のみっちゃん

 

今から50年もの話し

 

喧嘩と克上げの

主謀者になってしまった

17歳の少年

 

故郷の進学校を退学になり

京都の進学高校に

転校してきた

 

見た目は柄が悪いが

お坊ちゃま育ち

 

本当は 

克上げなんて

してなかったが

いつの間にか

主犯者になっており

 

弁明するのは男の恥だと

いっさい弁明しなかったら

すんなり退学

 

50年たった今は

毎日弁明しているけどさ

 

西郷隆盛さんのように

リーダーに祭り上げられて

しまった

 

京都に来ると

毎日が勢力争いで

緊張と喧嘩の毎日 

 

彼には一歳年上の

同郷の兄貴分がいた

 

兄貴分が京都にいたからこそ

京都の高校に

転校することに

希望があった

 

兄貴分も彼と同じような

お坊ちゃんで

実家からの仕送りで

生活をしていたが

仕送りだけでは足りなかった

 

二人とも

時間はたっぷりあるのに

お金がない

 

生活はできるが,

遊ぶ金がない, 

 

そこで同じ歳

見習いをしていた

みっちゃんと

知り合いになり

みっちゃんに

貢がせることにした

 

貢がせると言っても

毎日のお茶代程度,

 

しかし、みっちゃんも

その頃はまだ見習い

 

お給金ももらえず

収入はお姉さん芸子さんに

もらうお花代のみ 

 

そのお花代の500円札を

握り締め

みっちゃんは

毎日2人の待つところに

通った

 

一年後

男ども2人とも

東京の大学に行きましたが

夏休みには必ず京都に

帰ってきたと

 

夏休み、

京都に寄ってから

故郷の鹿児島に帰った

 

そしてみっちゃんは

芸子になり

20代の後半か

30代前半には

お茶屋のおかさんに

なっていた

 

1人は故郷の実家を

継ぎました 

菜種油の会社

 

もう1人は

長男なのに

故郷で一番大きい会社を

継がないで

 

東京で外資と

ジョイント・ベンチャーを

設立した

 

その後も

3人の友情は続き

20.年前に1人が

亡くなってからは

残ったもう1人が

京都に来たときには

必ず寄っているようだ

 

そして

たくさんお金を

みっちゃんのお茶屋に

落としていった

 

そのみっちゃんも

7年ほど前に

亡くなり、

今はそのお茶屋も

なくなった