今の世の中にかけているものとは一体何でしょうか。
もちろん、経済格差是正や人口問題等深刻な問題解決能力というものは欠けているのかもしれません。
しかし今の日本と昔の日本で決定的に違うところが一つあると思うのです。
「道徳力」です。
昔は近所付き合いもあり、地域でその子を育てるという文化がありました。ときには他の家の子を叱ることだってありました。しかし、今はどうでしょうか。近所付き合いも希薄化し、他人の子どもは他人の子どもとしてしか見ていない人が多いのではないでしょうか。この問題に関して、地域の防犯力も低下しています。その地域にみんなで住んでいる、という感覚がなくなってきているようにも思えます。
また、思いやりの心というものが希薄化してはいないでしょうか。たとえば電車に乗っていてお年寄りや体の不自由な人がいたら席を譲ってあげる、これは当然の行為ではないのでしょうか。しかし、今の日本は当然のようにできていないきらいがあります。
つまり、私の考える「道徳力」とは「おもいやりのこころ」ではないかと思うのです。
自分がもしその人の立場だったらどう思うかを考える力が低下しているのではないか、ということです。この考える力があれば日本はもっと良くなっていくであろうし、まず戦争なんてしようと思うはずがありません。殺された側の気持ちが理解できるからです。殺された人には当然家族がいます。その家族の気持ちも考えることが出来たら戦争なんでできるはずがありません。また、犯罪なんてできるはずがありません。もし窃盗された人が年金暮らしの老人でそのお金がなければ生活できなかった場合、そのお金を盗むことによってその老人は1カ月間自分の力で生きていけなくなります。そんな老人の気持ちが分かる人間なら到底金銭の窃盗なんて出来るはずがないと思うのです。
では、どうすれば道徳力をつけることが出来るのでしょうか。私は幼少期の子どもに対する両親のかかわり方が大きいのではないかと思います。特に母親の影響力は大きいと感じます。いくら金銭的に貧しくても、両親の愛情を受けて育った子は非行に走ったりしません。そんなことしたら親が悲しむことくらい分かるからです。子どもに対する虐待事件が発生するという問題については、親が子どもに対する愛情がないに等しいからではないでしょうか。産んだからには責任を持って育てるべきであると考えます。
また、非行に走る子どもに多いケースとして家庭内の問題があります。夫が会社で上司に怒られるなどしてストレスを蓄積し、このストレスを家庭に持ち帰り妻にぶつける。そこでたまった妻のストレスは子どもにぶつけられる。「どうしてこんなこともできないの」「どうして言うことを聞かないの」と言われ、怒られた子どものストレスはどこへ放出すればいいのでしょうか。こうして蓄積された子どものストレスが爆発する時、非行・犯罪・不登校などの問題が発生します。
いろいろと記述しましたが、つまり、すべての根底には道徳力の欠如があるのではないかと思うのです。
国はこの「道徳力」の強化について早急に対策をすべきであると思います。