金持ちは幸せで貧乏は不幸なのでしょうか。
私はそうは思いません。
金銭的に貧しいが不幸なことではないと思います。たとえ貧しくても幸せで温かい家庭・家族があれば、それはお金で買えるものではありません。
そのような家庭はみなが目指すものであり、そんな家庭を持てるということはある意味精神的に裕福です。
しかし、お金がないことで不幸になることはあります。生きていくために必要なものが買えない、欲しいものがあっても買えないということはあり得ます。逆に金銭的に裕福であっても冷え切った家庭だとどうでしょうか。そこには愛情も何もありません。
もし、どちらかしか選べないとして、
①金銭的には裕福で何の不足もないが家庭は冷え切っている生活と、
②金銭的には貧しいが暖かい家庭をもてている生活
を選ぶとしたらどちらを選ぶでしょうか。
私なら②を選択します。
そういう環境ならば、その人のために何とかしようと頑張れるはずです。
①ならばいずれ終わりがきます。
しかし、②ならばたとえつらくても協力して乗り越えることができるのではないでしょうか。
人生にはいくつもの壁があります。
多くの人は壁を嫌います。超えるのがしんどいからです。超えなくていい方法を考える人もいます。
しかし、それでいいのでしょうか。
私の場合、壁が現れることは考え方によっては幸せなことだと思っています。
壁が目の前にあるということは生きていることの証明であり、それを超えられれば人として一段進歩したことになり、まわりの人より一歩前進したことになるからです。
壁を超えようとする人は努力します。努力しない人はそこで成長が止まってしまいます。
壁が目の前に無くなってしまったらそれは「死」をあらわすと私は考えています。
この「死」はいのちの「死」とは意味が異なります。
生きている限り壁は必ず存在します。それが目の前にないということはもはや死んで「無」になっていることと同じです。つまり、心臓は動いているのに死んでいるのです。
私は自分が興味を持った・持たないにかかわらず、学問のために書物を読むことは嫌いではありません。多くの壁を目の前につくってくれるからです。
解けない問題、それは「壁」です。解けない問題が解ければ「壁」を超えたことになります。学問や書物は物事を知るという「知的快感」を与えてくれるとともに人生における「壁」にも気づかせてくれる素晴らしいものです。知識がないと気付かない壁もあります。
そんな魅力的な「壁」をみすみす見逃すことないじゃありませんか。