「神様!ちょっと話があります!」
男は、神社の階段を
息を切らしながら上っていた。

「ハァ・・・ハァ・・・
神様、いるなら返事してくださいよ!」

もちろん、ない。

男は賽銭箱の前に立って。
財布を開いた。

37円あった。

「神様、今日は特別ですよ」

10円を入れた。
チャリン。

「これで人生、なんとかしてください!」

男は手を合わせた。
「俺の人生、なんでこんなに
 うまくいかないんですか!」

すると――
頭の中で声がした。

「具体的に言ってみなさい」

「え?」

「何がうまくいかないの?」

男はびっくりしながらも
話し始めた。

「仕事!」
「そうか」

「お金!」
「そうか」

「健康!」
「そうか」

「あと、髪も薄くなって・・・」
「それは私の管轄外だ」


「俺、本当に何をやっても
 うまくいかないんです!」

会社では評価されない。
頑張っても給料は増えない。

貯金もない。
夢もない。

気がつけば、
人生の半分以上が終わっている。

男は下を向いた。
「俺の人生って、何だったんですか?」

神様は、しばらく黙ってから
こう言った。

「君は、いつから人生を失敗したと思っている?」

男は考えた。

20歳?
30歳?
40歳?
答えが出なかった。

すると神様が言った。
「君は、今日まで生きてきただろう?」
「はい」

「朝、目を覚ましただろう?」
「はい」

「ご飯も食べただろう?」
「はい」

「笑ったこともあるだろう?」
男は黙った。

「君は今日まで、
何度も幸せだったんだよ」


男は首を横に振った。
「でも俺には、何もない」

神様が言った。
「本当に?」

その瞬間。
男の頭に、
いろんな場面が浮かんできた。


子どもの頃。
父親に肩車をしてもらった。

母親が作ってくれた
弁当。

初めて給料を
もらった日。

友達と朝まで
馬鹿話をした夜。

結婚した日。

子どもが
生まれた日。

子どもが初めて
「パパ」と呼んだ日。

そして――
数年前。

母親から電話があった。
「今度、いつ帰ってくる?」

男は忙しくて、
「また今度」
と言った。

それが、
母親との最後の会話だった。

男の顔から、
笑顔が消えた。

「神様」
「うん」

「俺」
声が出ない。
涙だけが落ちた。

「俺、幸せだったんですね」
神様は答えなかった。

男は泣いた。
子どものように泣いた。

「なんで俺、
もっと大事にしなかったんだろう」

「もっと母さんと話せばよかった」

「もっと子どもと遊べばよかった」

「もっと普通の日を、
 大切にすればよかった」

涙が止まらない。

すると神様が言った。
「だから、今から大切にしなさい」


男は顔を上げた。
「今から?」

「そう。
人生は、過去をやり直すゲームじゃない。

今日から、
見落としていたものを
見つけ直すゲームなんだ」

男は涙を拭いた。
そして笑った。

「神様」
「何?」

「俺に、100億円ください」

神様が言った。
「結局それ?」

男は笑った。
「冗談ですよ」

「冗談ですか?
 ホントに100億円、今あげましょうか?」

「え!いいんですか!
 本気で言ってるんですか!」

男の目が輝いた。
「マジで!ひゃ・・・100億?」


「そうだ」
「本当に?」
「本当だ」

男は飛び上がった。
「やったーーー!」

神様は言った。
「ただし!」

男が止まった。
「ただし?」

「条件がある」
「何ですか?」

「100億円をあげる代わりに、
 明日の朝、
 君は目を覚ますことがない」

男は固まった。

「・・・え?」

「100億円は君のものだ。
 ただし、明日の朝。
 君は目を覚まさない」


長い沈黙が流れた。
男は考えた。

100億円。
100億円だ。

でも
明日の朝がこない。

もう二度と
愛する妻に会えない。

大切な子供の頭を
なでる事も出来ない。

男は絞り出すように言った。
「・・・いりません」

神様は尋ねた。

「本当に?」
「はい」

「100億円だぞ?」
「いりません」

「夢のような大金だよ」
「いりません」

男は言った。
「明日の朝、目を覚ましたいです」

その言葉を聞いて
神様は笑った。

「では、よく考えてみなさい」
「え?」

「君は今、
 100億円よりも、
 明日の朝の目覚めを選んだんだよ

君は今まで毎朝、
100億円以上の価値がある目覚めを、
何千回も、
何万回も、
受け取っていたんだよ」


神様は、笑った。

「神様、俺
 めちゃくちゃ金持ちだったんですね」

「そうだよ、君はずっと
 気づいていなかっただけだよ」

「俺は、持ってないものばかり
見ていただけだったんですね」

「そう。人間はね、
持っているものが少ないから
不幸になるんじゃない。

持っているものを
忘れてしまうから、
不幸になった気がするんだよ」


男は笑って
残りの27円をすべて手にとって、賽銭箱へと投げ入れた。
ジャリン。

「おや、全部入れるのかね?」
「イイ話、聞いた御礼です」

「わかった、何百倍にもして返しますよ」
「では薄くなった髪を
 どうにかしてください」

「だから、それは私の管轄外だって」

+++

男は神社を出た。

帰り道。
いつもの道だった。

いつもの空。
いつもの風。

でも、
全部が違って見えた。

スマホを見る。
妻からLINEが来ていた。

「今日、早く帰ってこれる?」
男は返信した。

「帰るよ」

少し考えてから、
もう一行つけた。

「いつもありがとう」


送信。

すると、
すぐに返信が来た。

「どうしたの?
 具合悪い?」

男は笑った。

「失礼な!」

そして空を見上げた。

今日、
誰かと笑えたなら。

今日、
「ありがとう」と言えたなら。

今日、
「ただいま」と言える場所があるなら。

それはもう、

人生がうまくいっている
証拠なのかもしれない。

「神様!」
もう返事はなかった。

でも男には、
なぜか聞こえた気がした。

――ではこれから毎日
100億円分、楽しんでおいで。


その夜。

男はいつもより少し早く、
布団に入った。

「明日の朝って、
100億円より楽しみかもしれないな」

人生が変わったわけじゃない。
お金が増えたわけでもない。
仕事がうまくいったわけでもない。

ただ
同じ人生を、
違う目で見るようになっただけ。


それだけで幸せを感じる。

人生を変えるって、
こういうことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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