いつのまにか円は弱くなっていた。1ポンド192円ってこの10年以上なかった為替だ。ドルも120円が近づいているし、オーストラリアドルも100円を超えたみたい。

こんな時に出張なんて、会社のお金だけど、ホテル一泊5万って高い。もちろん安いホテルもあるけれど、ボスの泊まるPark Lane周辺はどれも高い。Park Laneの近くには日本人大使館があるのだが、その大使館の前でデモが繰り広げられていた。日本のイルカ追い込み漁反対のデモだった。

Boy達がラグビーのテストマッチ(England VS New Zealand)を見ている間、一人で自然歴史博物館に行って、ハイドパークを散歩し、ハロッズで紅茶を買ってきた。

 

自然歴史博物館はシカゴのものに似ているかと思ったら、スケールが違った。さすが大英帝国!!世界中から富を搾取しただけある。建物の荘厳さ、展示品の大きさと種類の多さ、美しい宝石、そして入場料は無料だけど、Shopが充実していて、けっこうな料金だった。入場料無料の分をShopとレストランで賄っているようだ。ダイナソーの展示や、昆虫ルームは息子にも見せたいなあと思った。

 

 

 小雨の中のハイドパークを歩くと、私の前を歩くゲイのカップルがとても自然で全然いやらしくない。ハイドパークは落ち葉が真っ盛りで、そのウッドの香りがゲイたちを着飾っているかのようだった。

 

ハイドパークにあった電灯が昔読んだ  C.S.ルイスのナルニア国物語の幕開けの部分、ルーシーがタムナスさんに出会うところを思い出させた。小学校の頃、私はこのナルニア国物語が大好きで、ナルニアにあこがれ、心底ナルニアに行ける方法を探し求めた。押入れの中に閉じこもり、そっと押入れを開けたり、両親のタンスにこもり、30分くらい出てこなかったり。アスランに会いたかった。

そして学校の冬休みの課題の絵を私はルーシーがタムナスさんに出会ったランプのある森の公園を描き、先生に褒められた。すごく想像力に富んだ絵だと。

35年ぐらい前、留学していたころ、住んでいたAbbey Roadからハイドパークまでよく歩いてきた。リージェントパークも、とおってきたと思う。ローズガーデンもあったと思う。あぁ、あの頃も誰かに恋していたなぁ。ドイツ人の男の子のことも気になっていたけれど、日本にいた3歳年上の男の子からは毎週毎週手紙が来ていた。実に筆まめな人だった。日本にいた頃は毎日毎日喧嘩して、まさか私のことを好きだったなんて知らなかった。帰国したらお付き合いが始まるのかな?と思っていた。あんなに一緒にいて喧嘩していたけれど、運命の人ではなかったんだな。

 

 ハロッズのデパートは土曜日ということで、人がごった返していた。この国はバブルかと思うほど、高級品ばかり並び、人々は17%以上の消費税にもかかわらず、強気に購買している。日本人は貧乏になったなあと感じた。

その晩、ボスの70年来の友人だというご婦人とボスの強い希望でKorean BBQで食事し、ホテルに戻ってからカクテルを飲み、倫敦最後の夜は更けた。