タイトルの言葉は、令和元年11月に入院中に読もうと思って買った本の中にある言葉である。

 

 その頃、私は舌癌ステージ4、両頸部リンパ節転移と診断され、手術を受けた。

 

 「おやすみなさいの前にほんの1分 心やすまる絶景ポエム」というタイトルのその本は、世界中の美しい風景の写真と様々なジャンルの著名人の言葉が掲載されている100ページにも満たない小さな本。

 

 入院前の私は、これから私の身に降りかかる大変な出来事のこともぼんやりとイメージするだけで、遠足前の児童がおやつを数百円分買うみたいに、入院で暇だった時のために、自分をおだやかにさせる本などを買っていた。

 

 そして、いざ、手術をしてみると、

 

 自分はフランケンシュタインのように、でたらめな改造をされたのでは・・・?

 

 一体、なにがどうなっていることやら・・・。

 

 ポジティブな考えは、全く浮かんでこなかった。

 

 

 手術からしばらく経った入院中のある日、この買っておいた本を開いた。

 

 全然、心が動かなかった。

 

 何も響かない。

 

 こういう美しい風景や心に響く言葉というものは、健康な人が見て感動するのかもしれない。

 

 それでも、せっかく買ったのだし、どうにかして自分の気持ちを良い方向に進めたい、とページをめくった。

 

 「明けても暮れても、今日という一日あるのみ」

 

 この言葉だけが、その時の私によくあてはまった。

 

 しかし、今は、この言葉に感慨深いものを感じない。

 この言葉より、他のページの美しい写真や言葉が目にとまる。

 

 どん底から抜け出せたということか。

 

 一応、その本の説明書きには、

 北山寿安(医師)

「魂をゆさぶる禅の名言』より

 江戸時代前期の名医であり、万民救済を願い即身成仏した北山寿安の随筆より。

 何事も毎日継続し、積み重ねていくためには、とにかく始めて、始めたら専念することが大切だと説きました。

 

 と、解説している。

 

 しかし、あの頃の私は、この解説に共感はしなかったが、自分に寄せた解釈をして、苦しくても時間はちゃんと経っていると安心したのかな?どうだったっけ。当時の心境がはるか彼方に行ってしまったため、うまく言えないけど、この言葉だけが印象的だった。

 

 その解説の「毎日継続」について考えると、今の私が継続できているものは、

 

 ちょっとした体に良いこと、が結構続いている。

 

 一番、よくやっているな!と思えるのは、仕事。

 

 正確に言うと、通勤。

 

 月曜日は、体調がイマイチで、自分が理想とする仕事はできていない気がする。

 でも、朝、起きて電車に乗りさえすれば、あとは何とかなる。

 

 仕事に復帰前は、朝起きるのが無理と思っていた。

 両頸部郭精の後遺症が、はんぱなく苦しい。

 やる気の50%以上を朝の起床に費やしているのではないだろうか。

 

 朝は「えい!や~!!」の気合で起きる。

 

 準備しながら、波に乗る。

 

 令和3年1月から、まともに通勤するようになったが、最初の頃は、舌や首だけじゃなく、耳の神経や脳も切られたのでは?と疑いたくなるくらい(もっと医師を信用せい!)、人の話が聞こえない、思考が途中で分断され、流れるような考え方ができない、病的に眠い(立っていても眠かった)、とか問題だらけだった。

 

 周囲には、「手術で耳も聞こえにくくなって・・・。」とか、適当な言い訳をしながら、自分の体第一に仕事をした。

 

 つらいことは当然あったけど、ある日、サクサク仕事ができた。

 

 「そうだった。舌がまだ普通だった頃の私は、こんな風に調子が良かったんだった。」

 

 もうだめだと思っていたけど、まだ残っている私がいる。

 

 仕事用の服を着て、鏡に映った私を見る。

 

 自分で思っているより、いい感じ。

 

 仕事で嫌なことがある。他にも問題がある。

 

 頭の中に、いろいろなことが混在しているうちに、バランスがとれてくる。

 

 また、放射線治療の後遺症が悪化してきて、歯茎が嫌な感じになってきた。

 でも、嫌なことは他にもあって、嫌なことベスト10の中で、揺れ動いている。

 

 そんなこんなで、また、来週月曜日の朝も死ぬほどつらい朝がくるんだけど、土曜日と日曜日の自由時間がいい感じです。