乳がん患者で、ずっと抗がん剤治療をしている友人から、脳に腫瘍ができたため、今度手術するとメールがあった。

 

 3月末に右手右足に力が入らなくなりMIR検査をして脳の腫瘍が見つかったのだという。

 

 内容は理解した。

 

 理解したので、返信をした。

 

 言葉が浮かばず、事務的な返信をした。

 

 何を書いたらいいのかもよくわからず、メールは読んだよと伝えたくて簡単なメールだった。

 

 彼女のそのメールを読んだのは、仕事が終わって駅のホームで電車を待っている時だった。

 

 電車に乗り、電車が動き、彼女の病魔が広がってきたことを考えた。

 

 メールの文面で理解できたのは、情報として「友人が脳に腫瘍ができた。」ということで、心にはまだ鈍い感情しかなかった。

 

 でも、やっと意味がのみこめてきて、どうしよう!と、いてもたってもいられなくなった。

 

 自分の癌の宣告の時もそうだった。

 

 がんの告知をされたというのに、ピンとこなくて、理解はしたんだけど、自分の心に伝わるまでに時間がかかった。

 

 あの日、私は先生に「そうですか。」とクールに返事をしたような気がする。

 

 

 手術をするという友人のメールも事務連絡みたいな書き方だった。

 

 もしかして、何度か書いて文面を変えたのかもしれない。言いたいことはもっとたくさんあったのかもしれない。

 

 さっき、事務的な返信をしたばかりなのに、私は、ちゃんとした言葉を伝えたくて、電車の中で涙が出そうになるのを花粉症のようにごまかしながら、マスクの中で鼻水を流しながら、彼女に電車の中からメールした。

 

 電車を降りてもメールした。

 

 家に着いてからもメールした。多分今は病院の食事中だから、メールも邪魔じゃないはず。

 

 彼女は今、右手が使えないはずから「返事はいらない」と書き添えた。

 

 返事はいらないのに、短い返事があった。

 

 彼女は、私が舌癌になるより前に乳がんになっていた。

 

 まだ一応健康だった私は、彼女が病気になったことが信じられなかった。

 

 誰よりも健康でスポーツ万能で、病気とはかけ離れた人間に見えていたのに、何が原因?と考えたりもした。

 

 心身ともに健康だった彼女は、「身」が健康でなくなっても「心」は健康なまま、辛い治療にも耐えてきた。

 

 私が舌がんになり、手術をして自分の体が変わってしまったことを受け入れられず、泣いていた時も、メールで、自分の時はこう思ったよとメッセージをくれた。

 

 そこには、癌患者にしか理解できない気持ちとかをわかってくれる「こころ」があった。

 

 昨日、彼女の手術があったはず。

 

 しばらくは、何の音沙汰もないはず。

 

 今、きっとベッドの上で、何か考えているよね。

 

 私も2年ちょっと前、手術の後、動けず、声も出ず、何もできず、呼吸だけしていた。