2025年4月20日(日)

 

『臼木ヶ峰城』→『浅谷城』 その1の続きです。

 

次は浅谷城です。

 

浅谷城は、築城年代や築城者については定かでないが、戦国時代に簗瀬九郎左衛門が城主としてあったと伝えられ、永禄年間には徳川氏に臣従していた。

元亀2年に武田信玄による三河侵攻に時には、簗瀬氏は足助城主鈴木康重らと共に抵抗するが、武田氏に攻められ落城した。

 

物見曲輪

 

物見曲輪の巨石

 

物見曲輪から見た本曲輪(落差約4.5m)

 

物見曲輪と本曲輪を隔てる堀切

 

物見曲輪と本曲輪を隔てる堀切につながる西側の竪堀

 

二の曲輪(段曲輪)

 

二の曲輪の切岸

 

二の曲輪から見た本曲輪の切岸(高さ約3m)

 

二の曲輪と三の曲輪を隔てる大堀切(幅20m、段差約6m)

 

二の曲輪から見た三の曲輪

 

三の曲輪北側の堀切(落差約4m)

 

北側から見た三の曲輪

 

三の曲輪の北側の土塁

 

三の曲輪

 

二の曲輪の北側にある本曲輪に登る折坂虎口

 

本曲輪西側の切岸(高さ約11m、横矢掛かり(邪)になっている)

 

本曲輪から見下ろした北側の段曲輪(高さ約11mありそうと高く感じる)

 

本曲輪

 

本曲輪からの眺望

 

縄張りはほぼ残っていて案内板等もあり、そこそこ整備されている。

二の曲輪の北側にある大堀切が見所です。