2025年3月23日(日)
抗がん剤治療と新たにリンパ節に転移、摘出手術で約一年ぶりの攻城です。
現在も抗がん剤治療中ではあるが、今回は足助氏七城の訪れていない城を探索です。
まずは成瀬城です。
成瀬城は三河国高橋荘中条氏の被官鈴木氏が豊田、加茂周辺を領したとされる。城主に鈴木忠兵衛重次・三郎九郎重成・九太夫正三の名もある。当地は嘗ての足助荘成瀬郷であり、犬山城主成瀬氏の発祥地と云われる。
南端部の切岸(断崖)
麓まで続いていて攻略が困難だったと思われる。
二の曲輪があったと思われる場所(道路整備により消失)
北端部の堀切(民家と一の曲輪の間)
東側の段曲輪(わかりにくい)
二の曲輪南側の曲輪
二の曲輪の切岸(約6.0m)
三の曲輪
一の曲輪の切岸(約5.5m)
一の曲輪
一の曲輪からの眺望
一部の曲輪は道路整備のため消失している。また、城内も整備が今一歩で東側の段曲輪が分かりにくい。
それでも縄張りはある程度残っている。南側及び東側は断崖になっていて切岸も高いところが見所です。
次は臼木ヶ峰城です。
臼木ヶ峰城の縄張り図を事前に入手して、いざ攻城したのですが城の遺構らしき場所は多数あったが縄張り図と一致しない所が多く再度攻城することにした。
遺構らしき場所
その2につづく