2024年3月10日(日)
今回も可児市の山城の攻城4弾目です。
まずは大森城です。
大森城は金山城主・森長可に仕えていた奥村又八郎元広の居城です。1582年(天正10年)、織田信長が「本能寺の変」で討たれると、それまで森氏に従っていた東美濃の国衆は森氏に反旗を翻しました。又八郎も長可を謀殺しようと計画しましたが内通者が出て発覚したため、長可に攻められ、又八郎は城に火を放って越前へ逃亡して前田利家に仕えました。その後、「小牧長久手の戦い」の際に森氏により金山城周辺の押さえの拠点として改築されたと伝わっています。
Ⅲ郭の切岸(高さ約8mある)
Ⅲ郭東側の横矢が掛かった切岸
Ⅲ郭
Ⅲ郭の土塁
Ⅲ郭南側の出丸
Ⅲ郭南側の出丸の土塁
Ⅲ郭と南側の出丸を隔てる堀切
Ⅲ郭南側の土橋
Ⅳ郭東側の切岸(高さ約6mある)
主郭東側の切岸(高さ約7mある)と横堀
北側の登城道(急勾配です)と石積(後世のものかも?)
Ⅳ郭の桝形虎口
Ⅳ郭の横堀(Ⅳ郭から横堀を見下げる)
Ⅳ郭
Ⅱ郭
Ⅱ郭の土塁
Ⅱ郭の切岸
主郭北側の土橋
主郭南側とⅢ郭とを隔てる堀切
主郭南側の土橋
主郭西側の虎口
主郭西側の横堀
主郭(整備されていない)
縄張りの整備が今一歩だが、遺構はしっかり残っている。
案内看板がないので縄張り図を入手してから攻城した方が良い。
曲輪の切岸は高く横矢が掛かっていて横堀で囲われている。曲輪間は堀切があり土橋でつながっていたと思われる。
その2につづく